桜庭一樹という作家は前からいろんなところで名前を聞いて気になってはいたけど、ふっと何かのついでの思い出して本を探してみてもなかなか見つからず、そもそもなに文庫で出ているのかも分からず、同じくなかなかタイミングの合わない佐藤友哉のように、結局このまま読むこともないのかなあと思っていたところ、ようやく昨日見つけることができた。古本屋に偶然在ったのを見つけてきましたって言うようなラインナップだけど。
- 作者: 桜庭一樹,平野克幸
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2002/11
- メディア: 文庫
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- 作者: 桜庭一樹,高野音彦
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2004/09
- メディア: 文庫
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男性はしばしば、あまりに嫌な感じに汚れてしまっていて、この感性を正面から書ききれない気がする。見て、考えてしまう存在だから。女性は男性から見られ、考えられるものを自ら抱えている存在だから(うわ、なんつーか、結局こういう考え方しかできないのか、男女二元論になってしまうのか僕は)、その感性をきちんと表現しやすい位置にいる。この小説で戯画化されいる宮台真司(?)みたいな評論家、あれは痛いが、少女ならば成人男性をそういう目で見る資格を持っているのであり、あれは痛快なことなのだ。少女はまだ大人になっていないだけではなく、性的にも男女の分化する前の状態で、でもそれはすべてを包み込むマザコン的なものではなく、逆に触れられたらこちらが緑色の汁を出してスライムみたいに溶けてしまうような、不可侵なものであり、同じような子供たちとしかつるむことはできない。こんな仕組みを持つ社会は歪んでいるけど、そうでなければフォークロアの時代に逆戻りするか、人類は衰退するかしないわけで(田中ロミオに期待)、そうはならない以上、この子供少女=推定少女の感性を恩寵のように大切にするしかない。
桜庭一樹の文体はいたって平明で、特に切れ味があるわけでもなんでもなく、凡庸なモチーフや言い回しも多いが、それはあまり重要ではない気もする。子供達のおしゃべりがいいわけで。生後半年からの記憶を持つ某ロシア人作家は、母親の胎内にいるときからの世界をシュタイナー的な怪しいイメージ言語で描いたが、そんな奇想をもってしなくても、追い詰められる少女達のおしゃべりや涙を描くだけでその感性は伝わってしまう。大人でもなく母親でもない少女というのは、何もなくてなんとも儚い。