田中ロミオ『AURA〜魔竜院光牙最後の闘い〜』

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

 面白かった。途中で止まれず、見事に睡眠時間を削られてしまった。このブッ放し感がなんとも。これだけ書けていったいあんたは何がしたいんだ、という感じに、単なる娯楽小説と呼ぶにはあまりに微妙なテーマをあまりにスマートに取り上げてしまうやばい作家だ。クロスチャンネルのときからそうだったけど、入り口は社会問題的な間口の広いテーマなのに、作品内であまりに高純度に精錬され前倒し気味に推し進められているために、読み終わるとまるで社会問題的な「現代の病巣」がすっぱ抜かれ、勝手に解決されてしまったかのような錯覚を抱きそうになる。「現実」の純度はこんなに高くないのに。僕の「戦士的」な設定用語で言わせてもらうなら、ハッピーエンドで締めくくることを忘れない常識人でありながら、他方ではゴーゴリなのだ。ゴーゴリの風刺力は当時の風刺のレベルを超えてしまっていたので、風刺以上の何かやばいものとして読む者をざわつかせた。田中ロミオの作品も風刺やエンターテイメントという表現ではしっくりこない、不確定な部分を抱えている。くそっ。今日が休日だったらもっとゆっくり考えたいんだけど、とりあえず。


(ちょい追記。7月19日。)
 世界を回している仕組みはどう考えても間違っているけど、それを止めることはできない。自分にとって心地よいやり方で世界と関わろうとすると、表出する部分が歪なことになってしまう。そこに生きにくさをどれだけ感じるかに個人差があり、普通に暮らそうとすること自体が面倒な「戦い」のような人間にとっては、普通にしていること自体が面倒なこと。生きることは傷跡を残すことであり、人生の濃密な瞬間というのは深い傷が刻まれた瞬間。それが後々思い出して不快なものとならないために人間らしいマナーの文化があるけど、アンチ・オイディプスを引くまでもなくそこから漏れてしまう傷は無数にあり、不愉快な痛みをいつまでも残す。一人で生きていかないのならば、その痛みを別のものに転換することを許してくれる相手が必要になる。「沙宮夜、どこにいる?俺は前世で亜羅侘だった者だ。菩提樹の根元にて待つ。17歳・男」。このブログ自体が菩提樹の根元だし。痛い自分のことや突き放して傷つけてしまった家族や友人のこと、その度に軽薄になっていった自分のこと。世界は結局、傷と傷を擦り合わせてへらへらしながら回していかざるを得ない気持ち悪いものなのか。がんばって屋上で机を積み上げてみても、ヘンリー・ガーターのような怪物にしかなれないのか。まあそれでも止まるわけにはいかないからね。どうせやるなら全力でやれば、何か救われるものがあるかもしれない。宗教のない世界で救われるための試み、というのがこの作品の意義だろうか。