定金伸治『四方世界の王1 総体という名の60』

四方世界の王 1 総体という名の60(シュシュ) (講談社BOX)

四方世界の王 1 総体という名の60(シュシュ) (講談社BOX)

 久々にわくわくする新しい作家に出会えた。元長柾木のような思弁性と、クズミンのようなstylization(仮想的文体模倣)の技術を持っているような感じがする。今後は本書の後半にあったような心理戦の方面にはあまり溺れずに、妖しい思想小説のほうに突っ走ってくれるといいんだけどな。
 古代と思想・宗教小説というのは相性がいいらしく、主人公がどんどん悟りの階梯を上っていって色素が薄くなっていくような小説は、自分が今まで読んだ中では、エジプトとかアレクサンドリアとかを舞台にしたものが印象に残っていたりする。そこはまだキリスト教的あるいは人文主義的な自我を通して描かれる世界ではなく、人はまだ数の神秘を知り、何か大いなるものに「導かれていく」世界だからだ。数字の持つ無機質な強さは、横顔ばかりで設計図のように個性と無駄のない、パピルスの絵の様式に合致する。キリスト教においても、セクト(ロシアの分離派とか)の持つ恐ろしくも優しい「非人間的」な雰囲気は、19世紀的な自意識のくびきに疲れた人間にとっては癒しと解放の場となりえた。クズミンの『翼』や『柔和なヨセフ』のような思想小説や、『アレクサンドロス大王の生涯』のような歴史小説が、同性愛や異端やオカルトで物議をかもしながらも、いつも不思議な透明感と優しさを感じさせるのは、神経症的なめまぐるしさとデカダンス的な洗練に忙しい20世紀初頭の文学の中で、不思議な速度を持ちながらもゆっくりしたテクストだったからだろう。
 というわけで、本書の主人公ナムル君はシャズに導かれて不思議な階梯を昇ってゆくがいい。なんでもかんでもいちいち再帰的に反芻しながらする受動的な彼には、その素質がある。シャズはシャズで大変に大きな役だが、導きの師としての役目を引き受けてくれるだろう。彼女はアメンホテプ4世を髣髴とさせるところがある。神々に逆らって神になり、その報いを受けるのかもしれない。だが彼女が苦悩することがあったとしても、どうか現代のヒロインと同じようにではなく、その不思議な優しいオーラを失わないで欲しい。彼女には萌えヒロインがなかなか浮かべることの出来ない、本物のアルカイック・スマイルを浮かべる能力を失わないで欲しい。数字の神秘と量子力学的な観測の哲学の技法が世を動かす世界、神秘的な予定調和、ぜんぜんありです。たまにはフィクションにも休息を与えてください。ラブコメもいいけどね(注文多くてすみません。でも1万円以上も絞られるんだからいいよね)。