定金伸治『姫神』

 ちょうど建国記念日に読み終えたこのシリーズ、予想以上に面白かった。話が戦と統治に偏りがちなのはジャンル的に仕方ないとして、神話の時代から歴史の時代へと移行する日本を偲ぶ美しい物語だった。もし自分の民族の過去を選ぶことが出来るのなら、こんな色調の物語がいいだろう。基点となりすべてに影を落とす神・卑弥呼(日巫女)と、その愛情を受け入れ、解毒し、人に譲り渡す息子。そしておおらかな二人の変態に見守られて国を背負う健気な少女。彼らを慕って集まる若者たち。
 民族の年齢なんていうものは常識的に考えてもレトリックに過ぎないもので、普通は自分の想像力が感覚的に届くのはせいぜい祖父母の世代までだろう。祖父母の世代から現在の自分までの世界の変遷をどう消化しているかによって、そしてそれがどの程度周りと共有されているかによって、自分の時代の成熟度の幻想は決定される。日本よりも遥かに長い歴史を持つ中国のほうが今は若く感じられたりする。祖父母より前の世代の世界は、物語やフィクションの世界に近くなる。こんなフラットな歴史観は、命がけで学生運動をしていた僕の親の世代には一笑されてしまうのかもしれないが、それでも今のような言葉やイメージのインフレの時代には根強く蔓延りやすい幻想で、本作を引くまでもなく幻想は現実になりうる。
 そういう意味でも、本作が「あったかもしれない」世界の物語として書かれ、「幻想」や「慰霊」や「女性崇拝」や「和魂(にぎたま)」や「マザコン」や「両性具有」や「判官贔屓の心性」といった、いわゆる日本的な概念のモチーフにぶれることなく一貫して彩られているのは、適切すぎて器用貧乏だといえそうなところだが、実際は読んでいて退屈しなかったのは、僕がよく訓練されたダメ人間だからか。ディティールを丁寧に書いているし、言葉もかなり選んで使われているので技術的な不満はほとんどなかった。基本的には若い人向けの平易な文章だけど、登場人物に血が通っているように感じた。台与と彼女の周りの人たちの生き方を思って言葉に詰まった。潔い筆で書かれた悲劇は泣きゲーに劣らず後に残る。山国日本の風景に親近感を覚えた。とりあえず、三輪山英彦山はいつか見てみたいと思う。