赫炎のインガノック  (70)


(ネタバレありです)


 「無限に増殖する現在」に押し潰されそうになりながらも我慢強く生きようとする人たちを包む、滅ぶべき都市の悪夢と安らぎが入り混じったような空気が印象的だった。その中で手を差し伸べ続けた主人公の姿に勇気づけられる。ヒロインとエッチしてめでたしめでたしだったら白けていたと思う。インガノックの住民ほどではないにしても、10年前の出来事なんてあまり覚えていないものだし、今は忘れてしまった何かの出来事をきっかけにして悪夢のような無時間が始まってしまっていたという設定も共感できる。その中で必死に生きてきたという事実がある以上、その悪夢自体は肯定も否定もできず、それを解消した結果アティの10年が消えてしまっても、ギーとキーアが消えてしまっても、それは不幸な「ボタンの掛け違え」に過ぎない、という後ろ向きな世界観が、シャルノス同様にしっくり来る感じでよかった。どうせ苦しんで生きていくしかないのならせめてまっとうな生き方をしようと黙々と尽くしていたギーには共感できるし、それを最後まで支えたキーアの温かさもよかった。
 個別の設定とかは正直よく分からなかった。根源存在とか大公爵の実験とかその辺が特に頭に入ってこなかったので、適当にフィーリングで。エンジェルバレットとセレナリアをクリアすればもう少しわかるようになるのかも知れない。シャルノスのときも黄金瞳の秘密とか陰謀結社めいたあたりの設定とか、あまり注意して読んでいなかったのでよく分かっていなかったような気がするが。そういえばエンバレに登場した(まだ登場したところまでしか読んでない)ブラヴァツキー夫人は、ロシア名はエレーナ・ペトローヴナ・ブラヴァツカヤ(1831-91)というらしいけど、インガノックのペトロヴナと結びつけるのは無理があるのだろうか。あるいは江川卓的な語源読みをすれば、インガノックという都市の「礎を築いた人(ペテロ)」の娘の象徴とか。「ペトロヴナ」なんて父称だけで呼ばれているからロシア語人的にはどこぞのおかみさんだよと思っていたところ。サブキャラとしてよかったのはくろぎぬの子とポルンだった(引き取って育てたくなる)。
 キーアやアティや他のみんなが「本当」は誰であったかは、彼女たちに陰影と奥行きを与えるための副次的な要素だ。その上で彼女たちがインガノックでどう生きたかということを考えるとやるせなさが。カタルシスもあったが。音楽や文体も、そのやるせなさや疲れた熱のこもったような感じがあり、余韻が残る。