新城カズマ『サマー/タイム/トラベラー』

サマー/タイム/トラベラー (1) (ハヤカワ文庫JA)

サマー/タイム/トラベラー (1) (ハヤカワ文庫JA)

サマー/タイム/トラベラー (2) (ハヤカワ文庫JA)

サマー/タイム/トラベラー (2) (ハヤカワ文庫JA)

 面白くて思わずまた読み返してしまったけど、個々のモチーフはどこかで見たことがあるようなものばかりで、悪びれもせずに過去作品の引用やらオマージュやらがペダンチックに次から次へと出てくるので、時々ふとこんなに揺さぶられた自分は実は騙されているのではないかと思ったりもするけど、でもある「パターン」が面白かったからといってその「パターン」に罪はないのだからいいのかもしれない。
 ハイスペックな若者たちのあがく姿を時間の流れの中で逃すことなく捕まえること。一人や二人の閉塞した感覚ではなく、五人のそれぞれが何かを求め、自分の力を信じ、若い力と可能性を注ぎ込む対象を探していた。青春の中の本当に美しい瞬間というのはそれほど多くあるわけじゃない。自由と力はやがて失われてしまうものかもしれないけど、だからこそそれが有り余るほどある瞬間は残酷で美しく、その後の変わってしまった長い時間を縛りかつ支える特異点のようなものになるのだろう。なんかうまく言えね。でも、いくら瞬間といっても、それがある一点やいくつかの明確な点だったりするかどうかはその瞬間には頭の悪い人間にはすぐには分からないのが悲しい。あとからさかのぼって仮構するしかしないのかもしれないけど、とにかく今を楽しめ、今を生きろ、認識は後回しだ、というのはごもっともで、当たり前すぎて野蛮な感じがする。青春という幻想を生きることを許されているのが、それをぎりぎりまでがんばるのがこのハイスペックな少年少女たちだ。この若く贅沢な時間がいつまで続くのか分からない。でもそんなことは口に出さない。そんな暇があったらその若さを誇れ。蕩尽しようにも無限にあるその若さを。ってまあそんな風に重たい言い方をしたら台無しか。悠有はただのんびりマイペースなだけみたいだし。違うけどちょっと似ているのが最果てのイマのあの空間だ。ていうか響子の苗字が貴宮なのは偶然なのだろうか。どっちも2005年。
 その時間が終われば、後はもう止まらず走り続けなくてはならない。これが残酷。悠有は前に進むことに決め、あのときを共有したのは単なる偶然だったかのように、結局みんな別々の道に分かれていき、その先ではまた別の出会いがあるのかもしれない。でも忘れちゃだめだろう。そんなにフラットに時間は流れないだろう。あの瞬間を背負って、今も違う時間を走る人間もいるのだろう。