素晴らしき日々

を買ってきた。今読んでいるテッド・チャンの『あなたの人生の物語』のある短編から取られたらしい言葉が章名に使われているを見て、これも何かの縁かと思い。会社の所在地が最寄り駅から歩くあいだにとらのあなソフマップゲーマーズが途中にあるという悪所のため、休日なのに出勤するかのようにエロゲーを買いにいった。終ノ空をやったときのことはもうあまり覚えていないが、『あなたの人生の物語』に即して言えば、あれはどちらかというと哲学ネタを装飾的に用いた娯楽作品で、娯楽性を犠牲にしてまで何かを訴えるようなメッセージ性はなく、驚きや新発見をもたらすようなところはあまりない、でもみさくらなんこつの絵のエロゲーでやるのは楽しい話だった。80年代から90年代にたくさん出た哲学入門書をおさらい(あくまでおさらい)するようなコンパクトさと、90年代の暗めの雰囲気の調和具合が既視感を生じさせてルッキンググラス的だった、というかむしろ扱われている思想タームが文系に偏っていてむしろ後退していたような。それを2010年の今繰り返すことに果たして意味があるのかどうか、そういう問いかけに巻き込まれるのがめんどくさい気がしたので特に買うつもりはなかったんだけど。確かに、目的と因果関係の中に生きるのならば、こんな風に娯楽作品としてもう終わったと評価した作品のリメイクだかペレスカースだかに手間暇かけてみるのは愚だという気がする。ただまあ、手垢にまみれた量子論的に、現在の自分の諸条件の中で別の可能性としてやってみれば、それは冷徹なほど別の姿を現す鏡となるはず、要は認識の問題、とかいう風に何かに対する言い訳をしてから始めるのもこのゲームに対する一つの礼儀かなと。だって終ノ空は申し訳ないけど何度も人の手を渡っているうちにボロボロになった箱に入った中古で買って楽しませてもらったのだから、今度はせめて新品で買わないと。と思ってソフマップにいったら新品(8780円)のすぐ隣りの台で中古が6000円で売られているという不条理。僕にとっては一種の儀式みたいなものだったので新品を買えてよかったけど、特典冊子だのお風呂ポスターだの猥褻なマイクロファイバータオルだの使い方すらよく分からない呪いのアイテムがついてきた。後はゲームを楽しむだけだ。「不連続」というのは僕の長かった学生時代の最後のほうで何度も目にしたキーワードの一つで、理系志向のあったフォルマリズムやアヴァンギャルドだけではなく、文系エリートだった象徴主義の中でも父親が不連続関数か何かを研究していたベールイとかは積極的にテクストに取り込んでいってたりしてたはず。不連続というのも量子力学で一般的になったんで、問題はめんどくさい「連続」の方とどう付き合っていくかなんだろうけど。エロゲーにしても「急に」傑作が次から次へと出てくれればいいのだろうけど、なかなかそうもいかないわけで、連続の中の破れ目に翻弄されるために全裸待機が必要だ。その意味では、まだ何もやっていないうちから言うのも滑稽だけど、この作品を一種のエロゲープレイの教科書として楽しめるかもと期待しておこう。日々は素晴らしくなければならない。

  • 追記。「あなたの人生の物語」ではなかったようで。といっても無関係ではないような気がする。まさかエロゲーやってエミリ・ディキンソンの詩集を引っ張り出してくることになるとは思わず、得した気分。虫や小鳥のような小さいものを題材にするか、アフォリズムやアルバム向けの短詩を書く詩人というイメージだったけど、きちんと読んだことはなかったのでエロゲーを通じて少しでも親しめたらありがたいことだ。ロシア語訳が何だか分かりにくいので原文を見てみたらどうも訳が怪しい気がする。英語が出来れば一番いいんだけど。鏡の国のアリスは確かナボコフのロシア語訳がどっかにあったような…

 話は変わるが、不連続といえば、先日買ったエヴァ12巻(asin:4047154202)を読んでようやくアスカに感情移入できるようになった自分に気づいた。10年間綾波一辺倒で、アスカはあくまで引き立て役のサブヒロインに過ぎなかったのに。僕の心情の変化なのか貞本義行の描く繊細な絵のおかげなのか。アニメだとアスカはあまりにもアニメ的なキャラ属性や派手なアクションに取り巻かれていて、その内面に入っていけるような余地が個人的にはあまりなかったけど、マンガだと絵をゆっくり眺められるからというのもあるかもしれない。もっと早くアスカの魅力に気づいていれば自分はこんな暗いオタクにならなかったはずだ。というのは嘘。もう手遅れです。