紫影のソナーニル 体験版雑感


 謎解きとか考察とかいうような読み方が不得意なので今までもただただ流れのままに読んでなんとなく納得した気になっていたし、そういう読み方は健全だと思うけど、それでもやはりこのスチームパンクシリーズで登場する「敵」っぽいのと「味方」っぽいもの、この圧倒的な2つの存在が何なのかはいつも気になるところだ。どこかで誰かがきちんと説明しているのかも知れないけどなんとなくの感想をだらだら書いておこう。
 文系的な読み方をするのはいかにもイメージを限定してしまってよくないけど、一番安易な読み方だと「敵」は大衆社会の到来とか生まれたばかりの20世紀を象徴するものとかそういうもののことになるのだろう。もう少し個人的な感覚で強引に見ると、この体験版に出てきた3番目の「御使い」はアレクサンドル・ブロークの長編詩『十二』と響きあうものがあった。
 ブロークはロシア象徴主義の中心的な詩人で、日本で言えば萩原朔太郎的な位置にいる。ロシアで最も音楽的な詩人と呼ばれることもある。一番テンションが高かったのは二十歳前後の1898〜1903年頃で、1900年代後半からは自虐と幻想の毒にはまり作風が暗くなっていく。十月革命直後の1918年に長編詩『十二』を書いてから詩がほとんど書けなくなってしまい、3年後に発狂死。『十二』では吹雪のペトログラードのなかを進む十二人の革命軍の野蛮な兵士が描かれ、クライマックスではその先頭で彼らを導く、真っ白に光り輝く無言のキリストが現れる。それまでどちらかといえばデカダンチックで室内的な詩がメインだったので、この荒っぽい長編詩が当時のモダニズムの詩人や作家たちに与えた衝撃は大きかった。ブロークは化学者メンデレーエフの親戚だったりするリベラル派の貴族だったので、革命に対する恐怖と希望をこのイメージに託した解釈されることが多い。20世紀始めの文化人たちが何か新たに生まれつつある得体の知れない大きなもの自分たちが断罪されるという強迫観念を持っていたというのはよく言われているわけで、このスチームパンクシリーズの「敵」もそれのことだといってみるのはたやすい。まあでも今の僕たちには関係のない歴史の話なので、いまさら拾ってくる必然性がないわけで、でも必然性ということを考えるならそもそもこのシリーズの設定をそういう歴史学の図式の中に解消してしまうことが愚かなのでいつもこの辺から先に頭が回らなくなる。というわけで何か比喩的あるいは神話的な存在なのだろうこの「敵」は。そしてそれを砕く「味方」はいかにも20世紀の物質的な力みたいなイメージだけど、要するに心理的・象徴的なものに対する物質的・実行的な力なのだろう。
 その他の構成とかについては、今回は「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」的な見せ方で前作に比べて分かりやすくなっている。その中で過去の影に引きずられて苦悩するヒロインの姿がに描かれ、その閉塞感がシャルノスのメアリの苦悩を思わせるところがあってよろしい。音楽がややあっさり風味になったのは残念な気がするが、この作品ではメタクリッターとなって紳士的にメアリを追い詰める代わりに、Aやジョンとなって無言で紳士的にリリィを凝視しエリシアについて回ることが楽しめそうだ。茸は生物として種の概念が曖昧な幻想的な存在で、さらに幻覚作用を持つこともあるため、アメリカの原住民とかにも重宝されたとかいうようなことから何か書こうと思っていたけどどうでもよくなってきた。多分買うことになる作品の体験版をやるのは愚かなことだと思うが、でもやって期待を持てたのだからよしとしよう。