姫さまはプリンセス (65)

 断片がフラグメント。プレイ時の雑感です。
1.
 クリスシナリオを終了。取り立てて何か引っかかるところがあるわけじゃないけど、久々にやったエロゲーの快感が骨の髄まで染み渡り、クリスの運命と幸せに行く末に引き込まれ、心安らぐ思いを味わう。異国の特殊な環境の中での出会いというのはこうしてモニター越しに眺めるだけでも鮮やかで幸せなものに見えるのだから、これが当事者ならば本当にかけがえのない素晴らしいものになるのだろうなというややずれた喜びも感じてしまう。とぼけた作品名とは裏腹に、何気にデティールに手を抜かずリアリティが作り出されているので、そうしたリアリティと虚構性とヒロインの幸せが、さらに加えるならヒロインの声や表情や唇やおっぱいが、なんとなくこちらの見当識を狂わせる。明日からまた仕事で憂鬱だけど、クリスもこの先けっして楽ではない仕事がずっと続いていくんだよな、でもクリスはもう幸せだからよかった、という感傷と浮遊感と軽いストレスが混ざった甘い読後感に浸されるのだった。


2.
 陰謀編・愛人編と進めていくと空しさが募っていくのを感じる。姫物の宿命として、平民の主人公が釣り合う男になるために努力し、鍛えられていくというモチーフがあるけど、これが現実生活の僕と関係がなさ過ぎて悲しくなってくる。確かに男を磨いておけばこの先役に立つこともあるだろうし、むしろ時間のあるはずの今のうちにそういうことをやっておかないと後々いろいろと困ることになる気がする。でもクリスティンが強調するような貴族と平民の違いとか、読んでて面白いけど、休日に健康のための運動すらしようとしない人間にとっては遠い世界のことなのに耳が痛いだけだよ。休日には目をつぶって寝転び、頭に思い浮かぶことにぼんやりと身を任せながらまどろむのが一番の楽しみです。そんなふうにしてクリスティンやルシアのことを思い出したり忘れたりするのが心地よいのです。


3.
 しばらく間が開いて、ようやくコンプリート。読んでないので適当に書くけど、絶対王政期だか何かには、王の身体が国家の身体と重ね合わされて、普通の意味での即物的な国王の身体性は後退して、しかしバロック期の詩にあるように、換喩などの言語的技法を通してではあるけれど、国家のほうではむしろ国王と結び付けられることによって身体にまつわる表象が過剰に強化されて、みたいな議論があったような気がする。
 姫物においては、姫様と身体的関係を取り結ぶとき、それは普通に女性の身体を持った女の子とエッチできるということの他に、社会の頂点に経ち、(通常作中ではとりわけ描写されないけどちゃんといることになっている)国民の視線と欲望の対象になっている社会的な身体を持った女の子ともエッチしているということもあった。ロイヤルタッチとかも原理は同じで、物理的には存在しないと言う意味において無であるものから大きなエネルギーやエロスを引き出せるけれど、存在しないからこそその象徴的な機構の保守においては言語の役割が大きい。
 言葉は耳をくすぐるだけではなく、王(姫)の実在性の根拠ともならねばならず、「夜明け前より瑠璃色な」と同じように、姫様が終始丁寧語で話すとき、その声色も重要になる。ルシアの声はよかったし、臣下であるクリスティンやアウグスタの盛り立てもよかった。キャラボイスの質は高かった。ブルムランド王国と言っても、この架空の国は作中では実質的にはこの3人によってしか実在を保障されていなかった。この3人のつむぐ言葉、何気に薀蓄やデティールが濃い目の言葉が、姫物としてのこの作品のリアリティを支えている。キャラデザはずんぐりむっくりしていてロイヤル感を殺ぐところがあったので(おっぱいをはじめとして包容力と豊饒性を感じさせるところもあったという意味においてはまさに王道と言えるのかもしれないが)、特にキャラボイスとBGMという音周りがよかったということを挙げておきたい。また、即物的な身体性と社会的な身体性を混同して倒錯したエロスを取り出そうという手つきは、架空の王国についての架空の物語からエロスを取り出そうとする姿勢とある種共通するところがあるけれど、正直なところ本作は何気にデティールが濃い目だったとしても、やはり大筋のプロットは単純な玉の輿系ご都合主義のおとぎ話なので、やってみて空しさが感じられるのは仕方ない。そう思うと、この作品が「夜明け前より瑠璃色な」と比べてマイナーであることにも、あのずんぐりむっくりしたキャラデザにも、なんとなく愛着がわいてくる。何気に女装した主人公も可愛かったりする。姫さまを所有したいという欲望は、言葉と表象が混ざり合う僕の脳内のどこかできっと達成された。