わーすと☆コンタクト (75)

 読んでいて飽きないおもしろい文章だった。あえて大雑把に3つに分けると、1つめはテンポがよくて楽しい日常の掛け合い。声優さんたちもテキストや絵面の濃さに負けていなくてよかった。空と海がひとつながりになるような青さと明るい日差しとみかんの島、そのありえないような夏の開放感が同時にどこかはかなさも感じさせるのは、楽しいだけの日常なんて日常ではないという何かの機制が働いてしまうからか。よく出来たドタバタコメディの宿命みたいなものか。2つ目はサラサとの不条理な会話。これも声優さんがうまくて、日本語が通じない人の信用できない感じがよく出ていた。誤訳を正すコードが何なのか、そもそもそういうコードがあるのかわからなかったけど、その不条理な流れをあの不条理な空間で追いかけているだけでも面白かった。作中でも言われていた通り、中途半端に通じてしまうのが問題で、不安定なコミュニケーションはこちらを振り回し、無駄な速度感を生み出す。その速度に動じずについていっている(ように見える)サラサには大きな包容力があるように感じられる。3つ目は、サラサの速度感ともつながるところがあるけど、サラサや花奈多との会話がのってきたときの、言葉遊びによる跳躍を繰り返す論理展開。目と地球、神と袖、ろうそくの火と恋。こういったスケールの違う概念の間を行ったりきたりする言葉の奔流が始まると、そこでは個々の人格という枠組みが曖昧になって、他人との距離がなくなる。作中の言葉を借りるなら、「一人でみる夢は夢のままであり続ける。しかし二人でみる夢は、現実」であり、拡散すれば目覚められなくなる危険な夢だとしても、人をひきつけ続ける不思議な力。言語的には詩の手法であり、ストーリー物では派手な視覚的演出を使えない舞台演劇とかで不思議な空間を作り出すために効果的に使われる。死神との長年の付き合いに比べると、宇宙人との相互理解ははるかに低次元のはずなんだけど、宇宙の中で青く光る地球という壮大なメタファーを通して理解への希求を訴えられると遠近感が狂ってくる。そういう無理のある設定の中で絶妙にバランスが取れてしまった作品で、その宙吊り感が心地よい。