星継駅蒐集箱 (70)

 宇宙の話で不思議なことのひとつは、「光年」という単位で、距離の単位のはずが何やら時間の話になっているみたいな感覚があり、膨大な距離というのは膨大な時間と結びついてしまうものなのだろうかと納得しそうになる。先に発売された擾乱譚の感想でも書いたことだが、この作品では絵画的な視点の移動による空間の構築が楽しめるわけで、その空間は宇宙飛行的な拡散の方向ではなく、内側へ、裏側へ、地下へと隠されたミクロな世界を開示していく方向で構築される。何か未知のものを追い求めて彷徨うというよりは、視点を移動させるついでに視界に引っかかった事物に目を奪われるという換喩的なモデルで、地上から地下に視点が移動するついでに、途中にあった物語にまったく関係のない機織女に話が脱線するシーンなど、ゴーゴリのような語りによる自在な空間構築だった。「駅」という舞台はそうした話芸にふさわしい場だった。
 そのような空間は本作の各物語では、きまって、終盤には大きな拡散的な空間へと開放される。親しげな狭い空間の連なりからさびしくて広大な単一の空間への接続は、避けられない大きな力のように登場人物たちに迫る。長い時間を宇宙で過ごしたゴドーには、その足の下から地面がなくなる感覚の寂しさがよく分かっており、あの宇宙BGM(残念ながら鑑賞モードに入っていないので曲名すら分からない)の響きも違って聞こえてくる。未来篇の最後では宇宙空間はさらに広がって物語空間へと開かれ、この作品全体をお伽噺のようなやさしいメッセージにしている。本作とよく似た舞台を持つ『猫の地球儀』の読者ならそれをぬるいと言うのかも知れないが、僕は疲れているのか、これでもいいと思う。
 エロゲーはどちらかというと時間を主題とするだけでなく、構造としても反復や変奏による時間芸術的なものを志向している場合が多いと思う。本作では過去篇、現在篇、未来篇と時代を分けて、登場人物を通して時間を結びつけることでそれぞれの物語の空間や登場人物たちに陰影が生まれる。本作の時間が残酷なだけではなく、やさしいものでもあると思われるのは、宇宙という広大な時間的空間を前にして受ける感覚とも通じているのだと思う。というわけで、希さんとSFというのは珍妙な組み合わせに思えたが、蓋を開けてみれば、時間や空間の語り手である氏にはうってつけのジャンルだったという。