福嶋亮大『復興文化論』

復興文化論 日本的創造の系譜

復興文化論 日本的創造の系譜

 前著に続いて刺激的な内容の本だった。ただし後書きにあったとおり、日本文化論といった趣きが強く、別に復興という言葉をつけなくてもいい気はした。本書の啓蒙的な姿勢を見るにつけ、学校教育とは何だったのだろうという気になる。日本文化に関して古代から現代までをカバーする一貫性のある見方ができるなんて知らなかったし、知りたいと思うほど日本文化に興味を持ったこともなかった。そんな人間が十代で三島由紀夫川端康成を文庫でちょっと読んだって、彼らの作品が背負っているものに気づくことはない。これまで(過去の)日本文化に興味を持ってこなかったのは自分の責任だし、この先もこの爺臭い文化や不機嫌な文学を好きになることはないだろうし、関心を持って評論を読むこともそんなにはないだろう。本書にしても、著者が別人で、アニメに関する章がなければ、おそらく手にとっていなかった。
 とはいえ、たぶん一番参考になったのは、個人的に最も手薄の中国の古典と日本文化との関連についての考察だろう。作品の引用を見るだけでうんざりしてくるような、読みにくい日本や中国の昔の作品を、現代の文学研究用語で分かり易く捌いてくれるのはありがたい。昔、学生の頃に入っていたサークルで宮崎市定が基礎文献リストに入っていたりしたけど、結局僕は東洋史からも、歴史研究自体からも離れてしまったので、中国に関するまとまった理解を得る機会を逃した。そして今の僕の生活においては、中国は経済主体としてしか視野には入りようがない。日本社会全体についても、中国に対する関心は今は経済に偏りすぎているように思える(日経を読むサラリーマンの妄想かもしれないが)。経済主体としての中国はひどく夢がなく、日本に不安ばかりを与える神経症的な存在である(100年前の欧州世紀末に似た状況だ)。文化の国としての中国についてはすっかり忘れ去ってしまっており、そこが昔の日本とは大きく違うところだろう。というわけで福嶋氏にはこの先も中国と日本とを結ぶ話を、現代の文学研究の語彙でしてもらいたいものだ。中国は日本のものをすぐパクるとか海賊版の国だとか、そういうつまらない話はもういいから、日本のアニメやエロゲー業界に元気がなくなっているというのなら、いつか中国がエロゲーの傑作をバンバン生み出すようになって、それが日本に翻訳されたり、日本と合作したりするというような夢も見ていいんじゃないだろうか(ちなみにロシアでは、ソ連時代のピオネールキャンプらしきものを舞台にした初のエロゲーがまもなく完成する)。もちろん文化にも経済的側面はあるが、そんなことよりも優れたものを見つけ、夢中になれるかどうかのほうが先だ。何だか場違いな中国へのラブコールみたいになってしまったが、面倒なのでこのまま終わりにしよう。最後に一言だけ付け加えると、福嶋氏には、研究者としてだけではなく批評家としても活動するのならば、政治的・歴史的な正しさをかなぐり捨て、美的対象として夢中になれるような凄い作品を紹介するような文章も、いつか書いてほしい。