花澤香菜『claire』

claire

claire

 それにしても花澤さんのような人が声優として引っ張りだこになって、その声が生かされるようなキャラクターが(千石撫子のような批評的なものも含めて)たくさんいるというのは、考えてみれば贅沢な時代である。
 ツイッターで何かのついでに気になって、こんなアルバムが出ていたことを知ってすぐさまポチり、届いたのが大晦日。十代の頃にこのCDに出会わなかったことは幸運でもあり、不幸でもあり。十代の頃に出会っていたら、勉強などせずにオタクまっしぐらになっていたであろう恐ろしいアルバムだった。当時、特に音楽好きでもオタクですらもなかった自分は、それでも本能的なオタク嗅覚(あるいは聴覚)によりMy little loverの声の端っこ辺りに求めていたものを嗅ぎつけて、ハローアゲインとかを繰り返し何度も何度も聴いていた。初めての受験のプレッシャーにもマイラバのおかげで耐えられたといってよい(試験会場でも聴いていた)。数年前にPerfumeがブレイクしたとき、マイラバ的な声の復活を感じて懐かしく思ったものだが、それでもPerfumeはとても禁欲的な編集方針なので、不完全燃焼感があった。歌詞に関しては無理をするのをやめてミニマリズムに徹したおかげで、歌詞がひどかったマイラバよりは毒にも薬にもならないという意味でましになったけど、声の可能性を押さえつけているから窮屈で単調な感じになった。
 花澤さんのこのCDは、メロディとかリズムとか以前に、何よりも声の音色が前面に出ていて素晴らしい。フレンチポップ以来の可愛い声の理想がかなりの水準で達成されている。1曲目の「青い鳥」とか、あまりの多幸感に笑いそうになってしまった。まだ歌詞とか吟味して聴いたわけではなく、ながら聴きしただけだけど、自意識とか自己表現の陶酔とかともあまり縁がないように聞こえる。表現することではなく、表現されるものの完成度にひたすら集中した、技巧的でプロフェッショナルなものになっているように思えるのは声優さんだからか。小学校の頃、音楽の先生に頬の肉を持ち上げて笑うように歌えと言われて音楽の授業が嫌いになったものだが、花澤さんは良い声の出し方をきちんと制御していて、だからといって歌は技巧を見せつけるための器というわけではなく、聞き手を幸福感に感染させることが最優先になっている気がする。感染させられる側は、当然ながらそれまでは幸福ではない状態なのだが、それを幸福にしてしまおうという暴力性と、それと同時に幸福でない自分を相手にも投影してしまい、それではこの幸福感はどこから来る慈愛なのかと考えた時に、何だか泣けてしまいそうになる。この声の魔力に比べれば、同封されていたミニ写真集に写るご本人の可愛さなどはおまけである(確かにきれいな方だが)。制作の背景とか、音楽史的な位置づけとか、本人の思い入れとかは知らずに、ただ声の作品としてだけ愛でていきたいものだ。