then-dさんの訃報

 初めてそのご活動を知ったのは「永遠の現在」に東浩紀が寄稿するということで、どんな論集なのだろうと関心を持ったところからだったと思う。動ポモからエロゲーに入り、レビューサイトや2ちゃんねる葉鍵板をなんとなく徘徊していた自分には、ついに硬派な論じ手、葉鍵時代の生き証人の鉱脈にたどり着いたように思えた(論集は結局買わずじまいだったけど)。
 論集30x30は出る前から傍目にも盛り上がっていて、僕も楽しみにしていた。「美少女ゲームの臨界点」を除けば、コミケで印象に残るエロゲー評論本を買ったのはこれが初めてだったと思う。次の10x10もすぐに出て、その次の総合論集(もう2011年の話だ)ではお声をかけていただいて嬉しかったのを覚えている。この頃までには自分もそれなりにエロゲーに関する文章の書き方を固めていたけど、普段の感想ではなく論集に、それもthen-dさんの論集への参加ということで、ただのエロゲー語りのはずなのにむやみに身が引き締まる思いがした。then-dさんの仕事ぶりもまったく手抜きがなくて恐れ入った。エロゲーでここまでやるのだから本業ではどれだけプロフェッショナルなのだろうと思ったが、むしろエロゲーだからこそ注ぐ情熱もあるのかもしれない。
 結局、コミケ会場で一度ご挨拶しただけできちんとお話したことはなく終わってしまった。それでも、エロゲーを始めて10年の間に、関心の近いエロゲーマーでお顔を拝見したことがあるのはthen-dさんだけだ。エロゲーをやるのはエロゲーマーと知り合うためではないし、エロゲーに関する情報は基本的にネットのテクストだけだ。ユーザー同士の横のつながりは、ユーザーとエロゲーヒロインという縦のつながりに比べると何だかわけの分からないものだけど、それはエロゲーマーとヒロインのつながりが現実としてはありえないように、どこかねじれた次元のつながり方のようで、しかし考えてみれば、すべて人間関係はそのように部分的にベクトルが重なるだけのもののはずで、まあでも重なること自体が意味があるのだろうなと思う。このねじれ方、間に何か挟まった距離が心地いいのだろう。then-dさんの活動も文章もまったくまったく嫌味がなかった。then-dさんが論じたKeyの作品たちはこの先も死んでしまうことはないし、寄稿させていただいたテーマの猫撫ディストーションは何だかまだ細々と展開が続いていて、七枷琴子やギズモたちは今でも存在と非在の間で揺らいでいるのを考えると、then-dさんとのご縁も不思議だったように感じる。どうもありがとうございました。ごゆっくりお休みください。