Sense Off (80)

 「回想――祭りが始まり、時代が終わった」(『美少女ゲームの臨界点』、2004年)の中で元長氏は、(現在のフォーマットのエロゲーを確立させた)「雫の時代」は1997年のTo Heartから2001年の君が望む永遠までの間だったとの認識を示していて、Sense Offは2000年の作品であり、その企画書の文句からも、そういう時代の流れを内側から感じ取り、新しい地平を切り開こうとする野心に満ちていたことがうかがえ、作品自体からも若さが感じられた。僕はその時代のエロゲーマーとしての同時代人ではなかったし、元長氏の認識に同意しなくちゃいけないわけでもないけど、この若さには惹かれる。
 2001年までには確立し、2004年には既にエロゲーの外へと拡散してしまっていたという「美少女ゲーム的世界観」。社会性の意味が変容し、人は他者ではなく自己や自己内他者との関係を世界に敷衍するようになる。認識力学。そうしたイデオロギーをメタファーではなく、設定として、事実として作品の基礎に据えるという飛躍。それは宇宙からの外来生命や転生といったさらに危なっかしい飛躍に混ぜ込まれており、その意味では大槻ケンヂとかオウム真理教的な90年代風グロテスクに近づいていく。メタファーはメタファーの地位に安住することを許されず、実現してしまう。パロディではなくグロテスク。認識という主観が優先項となることが許される、あるいは必要とされる世界は、まだ脆い。「数学は世界を支配する」というが、その「数学」はヤコブソンのコミュニケーションモデルと似たような情報理論、つまり文系的な歴史と文脈の世界と通じており(ライプニッツにも指摘された通りだ。ライプニッツ読んでないので適当だけど)、透子や慧子のように認識は身体から離れて存在することができないという分かりやすい結論に落ち着いてしまう。それは敗北なのかも知れず、その先の夢、「世界の終わり」の風景としてしか、認識力が支配できる幸せな世界はありえない。だから、それを夢として片付けず、曖昧であっても事実のような形で提示してくれるところにこの作品の願いと優しさが感じられる。「聖なる物語」というのは、祈りだということだ。本当の海を見に行くのだ。それをグロテスクとは呼ぶまい。
 本当は数学は、完成すれば本当に世界を支配できるのかもしれない。素人の戯言ですが。少なくとも思惟生命体だった昔はできていたらしい。世界は複雑すぎてコントロールできないので、仕方なく単純化する。そこにも願いがあり、独り言に似ているといわれようとも(似ているだけだ)、愚直で明快な努力がある。そこに寄り添ってくれる椎子は恵みだ。そんな場所では悪意はなんだか曖昧でよく分からないものになる。悪意は確率論的なものとして処理され、不幸はよく分からない遠くからやってくる。不謹慎かもしれないが、統合失調症を連想させる。
 少し中身の話も。膨大な日常シーンの反復が快楽につながると自覚した上で作られた作品とのことで、ヒロインの意識が自分に向けられていることがよく感じられる告白前の段階も、その意識が変容して主人公との「共生」に近づいていく告白後の段階も、心地よさが充溢している。あまりべらべらとしゃべりすぎず、騒がしいイベントにも押し流されず、控えめだけどまっすぐに進んでいくのがよい。どのヒロインも、なんだかリラックスして落ち着いた格好だし。それから、音声がないので、ヒロインの声がやわらかく伝わる。僕の「認識」の中で、前後の落差が特に顕著だったのは珠季だ。これだけしおらしく変わっても少しもあざとく見えないのはどういう仕掛けなのかはよく分からないが、なんだか魔法にかかったようだった。遠い昔の記憶を語った後も、最後まで優しい軽口を言い合うのがよかった。
 あと、成瀬とか何も言わないけど四六時中そばにいようとする。そのことが成瀬シナリオの唯一のテーマといってもいいほどに素晴らしい。「街で待ち合わせ」とか言って喜んでるし。毎朝起こしにくるけど、自分は予知夢を見てしまう不安があるから、ゆっくり眠っている主人公が羨ましかったのだろうか。中庭で一緒に昼寝したときには、本当は予知夢なんかじゃなくて、いい眠りを眠って欲しかった。最後の方で、海の近くで公園を見つけて散歩するシーンがあって、一枚絵が出てくるけれどもそのシーンはすぐに終わって、その日もすぐに終わってしまう。そういう風に時間の流れ方に余裕があるのがよかった。藤棚の下の告白。主人公は照れ隠しか、藤棚は初めて見たので奇妙だとかどうでもいい話をするけど、ちゃっかり唐突に告白する。よほど成瀬がきれいだったのだろうと思う。屋上の弁当も夕焼けの海もそうだけど、成瀬の話には、顔のアップよりも少し引いたところから風景を優しく固定しようとする一枚絵が多かったのが印象的だった。
 15年前の作品だ。今の基準からはボリューム不足なのかも知れないが、スマートな構成は古典の風格を帯びているように見える。元長氏は「回想」で、美少女ゲームにはまだやるべきことがたくさんあると述べ、実際にその後も最近まで作品を作り続けている。この後でみさくらなんこつ氏やミヤスリサ氏と組むことにしたロックンロールなバランス感覚も素晴らしいが、この作品が持つ素朴さや優しさは特別な魅力を持っているように思える。自分は現実に失望しがちな性格なので、理想は理想、現実は現実などと分けるようなつまらないことはせず、前を見ているのか目を瞑っているのかよく分からないがとにかくまっすぐと見つめ続けているこの作品の姿勢には、勝手ながら勇気付けられよう。