自分だけでは残せない自分だけの記号に

 「宇宙のステルヴィア」に続いて「響け!ユーフォニアム」を一気に見た連休だった。自分が渦中にいるときは無我夢中で余裕なんてないし、楽しくて美しい瞬間なんて本当は数えるくらいしかないないのだろうけど、その後に残る痕跡を通して、いつかその日々を振り返ることもあるのかもしれない。それは心の弱ったときなのかもしれない。そうしてまた志麻も久美子も歩き続けていくのだろう。
 実家を引き払う際に出てきたという僕のノート類のダンボール箱。小学校の担任の先生が毎日発行していた学級通信、生い立ちの記、進路相談書類、社会科見学や修学旅行のしおり、骨折して入院した小学校1年のときにクラスのみんなが書いてくれたメッセージカード、引っ越したときにもらった寄せ書き、かっこよすぎてあまり着られなかったウインドブレーカー(下ろしたてを着ていったドンド焼きで火の粉を浴びて小さな穴が開いて半泣きになった)、中学の班分け表や学級委員の任命状、自分は指揮者をやって好きな子がピアノを弾いた合唱際のプログラム、高校の体育祭のためにつくった法被にみんなが書いてくれた寄せ書き……。30年前から20年前くらいまでの間の10年ちょっとの時間が一気に逆流してきたようで、別に自分の記憶や生い立ちに秘密はないし、エロゲー的な回想シーンでもないけど、遠い昔においてきたはずの自分の痕跡が今でもどこかにあったという、ただそれだけの事実に触れてなんだか感動してしまった。
 小学校1年生から高校2年生くらいまでの間の授業のノートや提出したプリント類のような、それ自体としては何の価値も持たない情報の残骸。マス目いっぱいに字を書いていた小学校から、自分なりの個性を探していた中学校を経て、こぎれいで(とはいっても現在に至るまで決して能筆ではない)神経質な筆跡になっていった高校生のノート。英語、物理、数学、古典など、科目によって体系が違うから筆跡も変わるし、一冊のノートの中でも気分とか問題の種類とかで筆跡が変わる。大学生以降は、科目ごとに一冊のノートに筆写するようなことはなくなったし、プリントの余白にメモする程度であまりきっちりと文字を書かなくなってしまったので、書くという行為を体が忘れてしまった。このノートたちがその感覚を一気に思い出させてくれた。英語では、筆記体の美しさに憧れて、ブロック体よりも読みにくいしそんなに速く書けるわけじゃないけど、斜めに倒したきれいな筆記体を書いて満足していた。数学では、整然と並ぶ記号や数字、均整の取れた図形を描くのが好きだった。記号と視覚的に戯れる快感という点では、英語と数学に勝る教科はなかったと思う。物理や数学、国語、古典、世界史、生物等は、書く文字や線の量に比して意味や情報の量が多すぎて、頭を使わなくちゃならないからだ。英語と数学はほとんど反射神経のスポーツみたいなものだったけど、そんな風に楽に楽しむほうに流れてしまったからこそ、英語ではヒアリングや会話はてんでダメだったし、数学もベクトルや行列のように考えなきゃいけないものは苦手で理系には進めなかった(代わりに今度は世界史に出てくるカタカナの固有名詞に酔って文系に傾斜していった)。図工や美術の成績はぱっとしなかったし、創意工夫が必要なので授業も楽しくなかったけど、英語や数学のノートを書くことのアクション性を楽しんで補完していたのだろう。頭を使わずに書いてはパズルを解くようにして勉強しているうちは、ちょっとした忘我の境地を味わえていたのだろう。それで周りから褒めてもらえるのだからありがたいことだった。僕にとっては勉強はそんなものだったから、つまらない板書の筆写だって当時のリズムや空気を伝えてくれる大切な痕跡だ。大人はもっといろんなことを考えて、見守ってくれていたし、友達やクラスメートも本当はもっといろんなことを教えてくれていたけれど、そうしたことには気づかずに他愛のないことに無邪気に傲慢に夢中になりながら、一日一日と育っていった。今でも客観視するのは気が進まないような記憶もたくさんあるし、自分がかわいい子供だったなどとは決して思わないけど、自分にもこんな平凡で特別な過去があって、自分は育ったのではなく育てられたのだなと実感することができるのは恵みというほかない。こんなところに書いてもしょうがないのだけど、本当にどうもありがとうございました。