雪影 (60)

 何も知らずにリニューアル版を買っていろいろと閉口するところがあった。無粋なことを書いておくと、つくりかけのままメーカーが解散して公式サイトがなくなったことを、あるときから姉がいなくなって埃だらけの廃墟のような老朽家屋が残されたことにダブらせてみたくなる。本当に美しいものには手が届かなくて、いろんなものがつかりかけのまま。そういう我慢と諦念を、ゆっくりと凍らせていく、あるいは包み込んで抱えていく雪。深雪というヒロイン自身もそんな我慢と諦念を抱えていて、年に数日間だけ会える彼女が温かく迎えてくれること、迎えてくれるというだけであとはただ窓の外の雪を見ながら一緒に座っているだけということ、やることといえば雪かきかお祭りを見に行くくらいで、それ以外は時計の止まった家の中でお互いの存在の温かさを噛み締めているだけ。雪国の人がどう思うのかは分からないけど、そうでない地域を基準に考えれば、雪とか冬の冷気というのはそうでない何もない状態に加えられたノイズであって、コミュニケーションの純度を下げる障害物のはずで、事実他人との物理的な距離は(少なくとも厚着した衣服の分は)遠のくのだけど、不思議なことにそのノイズがかえって空間を満たすエーテルか何かのような媒体となって、人との距離(心理的な距離か)を近づけるような気がする。無色透明なものは記憶しにくいから。雨は音が出るので本当にノイズだけど、雪は反対に音を吸収し、雪を踏む足音とか相手の声とか、自分の近くの音以外を消してしまうから、人との距離が近くなる気がするのかもしれない。そして冷たさは温かさを感じさせてくれる。当たり前の話だけど。人間は引きこもっているときでもいろんな活動に支えられていて、本当に外界を遮断したらそれは雪山にこもって動けなくなるのと同じことで、生命の維持すらあやうくなる。好きな人と一緒であればそれはかえって幸せな時間なのかもしれないけど、そうではなく一人で長い時間をすごさなくてはならなくなった場合は自分の孤独と向き合うことになる。主人公の来る冬以外には山や洞窟にこもっていた深雪、どこかのルートでひっそりと一人で子供を生んだ深雪、洞窟の墓所で防寒着を着て一人冬が過ぎるのを待っていた深雪。自分からは語ろうとしないからこそ、彼女の静かなたたずまいが印象に残る。あとやっぱ、子供の頃から立ち絵があって、大きくなっていってもその表情とか声に静かな連続性が感じられるのがよい(反対に、リニューアル版の新規絵は情緒が薄くて異物感が強く、いきなりどこかのロリゲーの絵が乱入してきたようで、ある意味で雪女的なホラー要素を演出的に強化していた……無理やり好意的に解釈すると)。一番最後のシーンで、人里を離れて青い空の下を二人だけで歩いていくことを決心したという。CGは病室のなかから見上げる二人だったから、ひょっとして比喩的な意味で言ったことなのかもしれないが、山に帰った二人の幸せを描いた話も見てみたい気がする。
 紫子についても一言。彼女の立ち絵の寒さで上気した感じの頬がすばらしい。深雪とは違うが、雪国の元気な女の子にべた惚れされて献身的に尽くされるというのも贅沢な夢である。北都南さんの声もすばらしく、最近はあまり耳にしていなかったので染み入る。何かの他愛無いせりふで「〜じゃなくない?」のイントネーションをギャル風ではなくきちんと発音してくれたときにはなんだかちょっと感動してしまった。紫子の奉納舞のシーンがなかったのはちょっと残念だった。最後では、家を立て直す資金を貯めるために二人で東京に出るという。紫子も本当によくがんばったので、かみのやまを離れてしまうのではちょっと残念だが、その幸せな後日談を想像するのは楽しいことだろう。
 消え行く山人・山家たちをテーマにした物語は花散峪山人考で堪能させてもらったけど、あちらの凄絶なお話と異なり、降り積もる雪のように静かな物語もまたよかった。