家族計画〜そしてまた家族計画を〜 (80)

 なんか細かいことは無視して真に受けたくなる。真に受けて引きこもりたくなる。きれいなお話じゃないですか。現実ってのはこんなに美しくないじゃないですか。少なくとも僕はこんな現実を築きあげることはできそうにない。でもこの作品は別にきれいなお話を読んで気持ちよく泣きましょうね〜といっているわけではなく、少なくとも表層的なメッセージとしては、「あんま期待すんな」、「利益のほうが大きいんだから多少のことは我慢しろ」と言っているわけで、そこから先で幸せを手にすることができるかどうかは運次第だという。司は自分が恵まれていたことを自覚して噛み締めていたし、だから周りにもその幸せを広げる努力をした。つとめ上げた。「つとめ上げた」なんて僕には言えそうにない言葉だ。
 10年前に本編をやったときの言葉のリズムはかなり忘れてしまった。本作は何だか後の田中ロミオの文体のように思えて、その心地よさを堪能しつつ読み進めていったら劉さんのあの立ち絵だ。残酷なロミオだ。それで何でみんながいないのか分かってきて、末莉の思い出がうあぁとなって、あかりと一緒に僕も泣いた。それから末莉が待っていてまた泣いた。本当はエロゲーなんてやって泣いてる場合じゃない、末莉なんてどこにも存在しない。厄介すぎることがいろいろあって、自分のリアルな生活とか家族の心配をするべきなのだが、でもだめだった。エロゲーは甘美な毒なのだ。絆本という資料集が同梱されていて、そこに収録されている用語集とか「高屋敷タイムス」とかのネタページをみても、小ネタが仕込まれているだけで何も新しいことはないのだけど、それでも家族計画のあの空気に触れていたくて読んでしまう、後ろ向きの楽しさ。
 本編の昔の感想を見てみたら愚かなことばかりが書いてあるが、最後に「一番気に入ったのは一番最初にやった末莉ルートで、末利の個性とストーリーに強烈な印象を受けて、プレイ後、数日、本気で寝込んでしまいました。この点で、家族計画は私にとって唯一の鬱ゲーです。」とあって、何だ、自分まったく進歩してないなと悲しくなった。でも同時に10年前と同じようにゲームで心を揺さぶられることを確認できて後ろ向きに喜ぶ自分もいる。司とは違って無様にだけど、僕も時間を跳び越していたのだ。司はこれから大人になっていかねばならないあかりに向かって「我慢しろ」という。僕はいい年してあかりよりももっと子供だが、彼女のように可能性に輝いてはいない。何かが失われてしまっている。だが、だらしなく夢を見ながら、低い目標に向かってゆっくり進んでいけたらと思う。それが幸福なことなのかは分からないけど、迷ったらまた家族計画をやってみればいい。