らぶおぶ恋愛皇帝 of Love! (80)

 それぞれの言葉には神経の足か何かのようにコノテーションのフックがいくつも生えていて、言葉に自由を与えすぎると、言葉は分子みたいにバラバラな方向に飛んで、勝手にいろんな言葉を引っ掛けて結びついていく。極端な場合にはそれは単なるナンセンスになる。文学作品としての文脈の中に放り込まれた言葉は、芸術としての価値やジャンルの記憶を保持した馴致されたものだけど、他方でそういうグロテスクで無軌道な自由、文脈を壊して人間的な一体性の彼方へと飛び去っていってしまいそうな危うさも隠している。言葉遊びはきれいに決まるときもあれば、空振りして自己パロディに滑るときもある。後者は怖いから、言葉遊びは無難にコミカルな文脈で用いられる場合のほうが多い。そうでなければ、連歌のように強固に儀礼的な制約性の鎧で防御力を高めておくか、枕詞や序詞のようにパケット化してそれが滑ったかどうかはひとまず脇に置けるようなジャンルの文法が必要になる。
 だが、自由を与えられすぎた凶暴な言葉にとってはそういう配慮はあまり意味がない。燃料が尽きるまで、その推進力で心のままに突き進んでいくだけである。本作の掛け合いはコミカルな文脈でもシリアスな文脈でも言葉遊びが満載だが、シリアスな文脈で惜しげもなく遊ぶのは珍しいので目立つ。そもそもコミカルとシリアスを明確に区分する必要はなく、未分化な野生の言葉を受け入れるのもありのはずだ。気づいたら必死にタンスを背負って修行して、人間離れしているのもありだ。Keyの主人公がやっていたようなことだ。連歌のような掛け合い。相手の言った言葉の何かのフックに引っかかって、その言葉を別の文脈において返答する。会話をしながら言葉はずれ、さらにずれて元に戻ったり、桂馬のように跳んだりする。聞いている間は相手の言葉に耳を澄まし、うまくさらってやろうと身構えている。滑稽ではない。真剣であり、入神の状態である。相手どころか、自分が話した言葉に話しながら自分で引っかかり、自分で自分の言葉を読み替えてしまう。自分という人格の統一性は崩れ、自他の境界は曖昧になる。……見返してみたら4年近く前のわーすと☆コンタクトの感想でも同じようなことを書いていて我ながら進歩がない。
 こういう文体の詩学をきれいにストーリーに接続して消化していたのがギ族ルートだった。「嘘」がテーマのお話だ。回想と現在を交互に、リズミカルに行き来する構成自体がすでに韻文的だった。自由な言葉は、方向を喪失してうろうろと這い回るようなものであってはならない。放流となって善悪や喜怒哀楽を押し流す暴力的な力を持っていなければならない。だからこそ、ひかりが会心の笑顔を見せるシーン、空を飛翔しているようなシーンの開放感は素晴らしかった。言葉で現実を捻じ曲げる権力を手に入れ、言葉が思考にぴったりと即した瞬間の喜びを噛み締めているようだった。あとはあれっすね、「バカ。キスだぞ。唇と唇がぶつかっちゃうんだぞ。エッチである。あーエッチである」とか「ま……間違えた。女の子ではない。吸血鬼である」とか、ギ族はおかしな生き物ですね。
 僕の思い込みなのかもしれないけど、どのヒロインであっても、何か問題を解決して主人公とヒロインが「成長」したりはしていないように見える。リアルでもばれない嘘がつけるようになれば無敵になれる、雲のような存在になれる(そういや不定形の荒ぶる自然の象徴であり豊穣の雨を呼ぶ存在である雲は、人類学的には吸血鬼と同系列のメタファーであり、マヤコフスキーの「ズボンをはいた雲」はそういう制御不能な状態の自分を描いた作品だった気がする)、そう願っていたひかりは、結局反省してその願いを完全に捨てたというわけではなさそうだし、ルキナルートで批判された恋愛による人への依存は、「毒は抜けた」とか何とか言われていたけど、ハッピーエンドの幕切れ時にはさらにひどくなっていたようにも見える。偉そうな物言いになってしまうが、成長っていうのはそんなふうにきれいにストーリーをまとめて達成できる、低いところから高いところへ上がるようなものなのではなく、はじめに低いとされていたところも別に本当に低いわけではなく、単にそのときは経験がなかったからうまくいかなかっただけで、これから先もそういう低いところの問題っていうのは何度も出てくるけど、そのときに側にいてくれる人がいるという安心感、幸福感があるから違うということなのかなと思う。
 それからやはり挙げておかねばならないのはイサミさんだろう。いや、イサミさんは変態だからそれでいいのかもしれないけどね、主人公もっとイサミさんを幸せにしてあげなきゃだめだろう。もっと彼女に溺れなきゃだめだろう。違うのかな。そうなるとイサミさんはかえって不満になるか、それとも一歩引いてしまったりするのだろうか。こんなこと言っているうちは僕はモブキャラレベルなのだろうか。彼女、声が静かなんですね。いつも囁かれているみたいで、オタクなのでなんか秘密を打ち明けられているような気が勝手にしてしまう。あとあの立ち絵の視線だ。なんかサブヒロインなのにやけに可愛い顔でこっちを見てくるなあと思っていたら、最後にやったシナリオでまさかのルートヒロインになっててまいった。しかもなんかむっちりしてるし、完璧に尽くしてくれるし。イサミさんの単独エンドで終わってくれてもまったく少しもかまわなかったが、あの終わりだから見えるイサミさんの魅力というのもあって困る。
 ルキナは、言葉の奔流というこの作品の特性を体現するようなヒロインで、彼女にとっての恋愛は、幸せを実感するとかそういう自己の感覚的なものよりは、相手を奪い、傷つけ、守り、救うような、外に対する行動として現れる部分が大きい。放火者であり、雨を待つ炎であり、その雨さえも自分の中から作り上げる。立ち絵も可愛いというよりは、ごつかったり鋭かったりして獣的である。あのピースをしている立ち絵とか、横向きおっぱいの立ち絵とか、何というか媚びているのに媚び切れなくて、ちょっと痛ましさというか疚しさを感じてしまう。彼女は普通の女の子になろうとしたのに、周りがそれを許してくれなかった。落ち込んでも、強くなるという苦しい選択肢しか選ぶことができず、そしてそれを実行できる。うまく立ち回ったりしないので、これから先もいろんなところで周りとぶつかっていかざるを得ない損な性格で、だからこそいっしょにいると温かそうだなと思う。
 エリカについても何か書きたいけど、一人目に進んだヒロインだし、共通ルートはもう忘れてしまったしで、なんだか文脈の分からないメモの断片(「つんつんチェック」「秋人とキスするの気持ちいいから、キスしながらだったら、おっぱい触っても……いい可能性が出てきてる」)が残っているばかりで、彼女の頭の中も何だか異次元みたいだし、まあいっか。本当はもう1周していろいろ思い出してから書いたほうがいい感想だったけど(いろいろあってクリアに3ヶ月かかった)、作品にも倣いつついつもの通り勢いで書いてしまった。
 エロゲーに説得は求めていない。そりゃあ、あれば嬉しいけど、感染なくして説得はない(少なくとも恋愛という領域では)。その意味ではきわめて王道をいくエロゲーだと思う。