泉鏡花『由縁の女』

 読み始めたのは何年前だったか。トノイケダイスケの書くのろけシーンのような文章が、トノイケダイスケの文章のような鷹揚なテンポで続いていくのについていけなくなり、いつの間にか挫折していた。今回は2か月くらい前に読み返し始めて、モスクワに向かう機内でようやく読み終わった。分厚い小説だからあのまま冒頭のトノイケ的文章が続いていたらと思うと良い意味でも恐ろしいが(泉鏡花なので当然、地味豊かな字面をどうにか追っていくだけでもある程度楽しめる)、まもなく物語が動き出して、のろけた掛け合いが延々と続くのではなく、終盤に向かって空間的にも時間的にもどんどん日常から逸脱して、折口信夫死者の書のような凄みのある話になっていって引き込まれた。
 この小説は誰に勧められたんだったか。泉鏡花の本を何か読みたいと思ってたまたま古本屋にあったのがこれだったのかもしれない。いずれにせよ、一度挫折した僕が言うのもなんだか、エロゲーマー必読の作品ではないでしょうか。解説の種村季弘も書いているが、物語は4人のヒロインが順番に登場する一本道ルートのエロゲーのような構造をしており、ヒロインの属性は日常・現実から次第に非日常・幻想へと移っていく。
 読むべきと言っておきながら、ネタバレ的な感想を書く。最初は妻のお橘で、これはいわばトノイケダイスケの幼馴染ヒロインのシナリオのような章だ。トノイケ作品では過去と未来が後退して現在ばかりが延々と続くように、妻との掛け合いが顕微鏡的な細かさで描かれる。2番目は人妻となった幼馴染のお光で、お店を切り盛りする勝気なヒロインだ。子供時代のほのかな感情のやり取りが回想される。どのライターとははっきり言えないが、青山ゆかりの声が似合いそうな感じもする。3番目はエタサーの姫という感じのマージナルな娘・露野。子供時代から苦労を重ね、ぎりぎりの日常を過ごしながら、主人公と再会したことで日常の外側に出てしまう。この辺から舞台は墓掘りたちの部落民コミュニティや避難所としての寺、山家の集落への道行きへと移っていく。強いて挙げるなら、ねこねこソフトの描くようなヒロインだ。当然ながらエッチシーンはないが、色気のあるシーンが多く、エロゲー化したら映えそうな感じがする。最後は子供のころに憧れていた娘で、今は人妻となって奇病に罹っているお楊で、ここでは現実は思い出と神秘に侵食されていて、舞台も山の中や夜ばかりの印象だ。そして、まるでヒロインたちを描くことで目的を達成したかのように、物語は急に終わってしまう。エピローグで描かれるのもヒロインたちだ。
 これをいまさらゲーム化しなくても、すでにこの作品にかなりインスパイアされたらしい希氏の「花散峪山人考」があり、山岳民俗学の可能性の豊かさを感じさせる。
 とはいえ、設定とストーリーだけ追っていても仕方なく、この作品の魅力は何といっても泉鏡花の文体でエロゲー的な物語が展開されているところにある。僕にとってははっきりとわからない語彙が多く、語りのリズムも半分江戸時代みたいだったりして独特に思えるけど、もちろん同時代の人にとっては違った風に見えたはずで、反対に視点のトリックや英詩や民謡の引用、方言や様々な社会階層の言語に敏感というモダニズム文学の仕掛けも同時代の人には違った風に見えたと思う。僕としては、同じくモダニズム作家で女性的なものを愛した象徴主義者だったアンドレイ・ベールイの、(特に後期の)いかれた小説を文体ごと日本語に訳したら泉鏡花みたいになるのかなとふと思った。
 鏡花の小説はまた暇を見て読んでみたい。