滝本竜彦『ライト・ノベル』

ライト・ノベル

ライト・ノベル

 まだ考えがまとまっていないというか、まとめる必要があるのかよく分からないので、書きながらどうするか決めよう。
 偉そうな物言いになってしまうが、歴史がない作品だ。スピリチュアル系の気配が濃厚だ。スピリチュアル系は文学外の絶対的な価値観を根底においているため、歴史と教養といった一般的な価値観、美と技術の積み重ねは二の次になり、しばしば一般的には稚拙で安っぽい技法も躊躇なく採用する。一般的な(という言い方が通用するのかという問いかけはひとまずおいておいて)読者は置いてきぼりにされ、何かを悟ったように語りは進み、終わる。
 そうなるとさすがに宗教小説のレベルなので違うが、本作にはそういう危うさがある。NHKにようこそ以来、読み物としての面白さはキャラクターの一貫性にも繊細な文体によっても保障されていたが、本作では(少なくとも一読した限りでは)複雑すぎるキャラクターの入れ子構造や、文学外に飛び出した図式的・数学的で無味乾燥で「下手くそ」な記述や言語感覚で、言葉の芸術としての作品はところどころ破綻している。「読者に光を届けるために精緻に作りこまれた小説」という説明は、評価軸によっては一瞬で崩れ去りそうだ。キャラクターたちが苦労してみつけたそれぞれの大切なものも、とても壊れやすいようにみえるが、わざわざ壊れる場面を描くのも無益なのでこれで正解なのだろうか。
 本作の元になった文章は滝本氏のサイトで以前公開されていた。NHKにようこそを出してからも道が定まらずいろいろ苦労していた中で、スピリチュアルに「はまって」いたと仄聞することもあったが、滝本氏のブログからはあっち側に軸足が移ってしまった感が出ていて勝手な失望感のようなものを抱いた。滝本氏は言葉の芸術家として技術を磨き、質の高い文学作品を生み出す、なんていう悠長なことをやっている余裕はなく、もっと即物的な救いを捜し求めた結果、「教養」を身につけまいまま、半分文学の外に飛び出してしまったわけだ。そしてそれはスリリングなことだ。
 本作では言葉では芸術として伝えられないことが描かれている。芸術として伝えられないから、「情報」として表示されている。めたとんの不思議な言葉や絵、主人公の母親が哲学に淫して辿った垂直的な宇宙遍歴、美沙のチラシ裏小説群。それらの凄みは言葉で表現され切っていない。確かに一部は美しい言葉で表現されているが、どこかで諦められている。この未充足感は、仮に優秀なクリエイターによってアニメ化されたり「メディアミックス」(このNHKにようこその時代を感じさせる言葉が無反省に出てくるところも遠近感がなくて面白い)されたとしても、きっと同じように満たされることはないだろう。それは欲望の残滓であり徴候だからだ。

 光は僕たちの体の細胞の隅々、心の部屋の隅々、その中にあるいくつもの物語の隅々に流れ込んでいった。

 こういわれたらそう受け止めるしかなく、それを表現する言葉の巧拙の問題は消えてしまう。作者による言葉の暴力といってもいいのかもしれないが、この作者はその暴力をひたすら読者に「光」や「温かさ」にようなものを伝達するために行使するのである。作者が修めたらしい催眠の技法と同じだ。光や温かさは外部からの入力による感覚の一種だが、内部器官の問題でもあるので確かに自分でも主観的に多少はコントロールできる。でも小説がそんなに功利的なものであってもいいのだろうか。本作に見られる混乱というか、散らかった感じは、滝本氏自身がその点についてまだ答えを出していない証拠のようにも思える。本当に悟ってしまったら文学作品はもはや不要になり、教義書で十分になってしまうかもしれないからだ。
 でも分からない。僕の頭はまだ濁っていて、きちんとこの作品を受け入れていないのかもしれない。これが究極の答えであり、滝本氏がもう何も書かないというのなら、この作品を何度も読み返して何かを掘り当ててみたい気もするが、もっと「よい」次の作品を書くというのなら、そっちのほうが楽しみになってしまうのかもしれない。この作品に対する誰かの解説や、さらには作者による解説は、果たして必要だろうか(僕は読みたいだろうか)。この作品を読んだ後に残るもの、得られるものはなんだろうか。大切なものの弱さと寂しさの感覚であり、その感覚が許される空間が存在しているということを知らされた安堵感なのかもしれない。弱いからこそ言葉や何かの温もりにすがりつき、小さな光を手にしたいという夢を抱くことができる。
 なんだかNHKへようこそやその他の滝本小説と似たような感想になってしまった気がするが(以前にサイトで公開されていたときの感想とか:http://d.hatena.ne.jp/daktil/20150802 )、同じ作者なのだから当然なのかもしれない。違うところを目指しても同じところに帰ってくる。それは必ずしも悪いことではないのかもしれない。僕にとっても何か大切なものがあるところなのだろう。