陸秋槎『元年春之祭』

元年春之祭 (ハヤカワ・ミステリ)

元年春之祭 (ハヤカワ・ミステリ)


 もう一つ、新刊の『雪が白いとき、かつそのときに限り』も印象的なタイトルで、こっちは著者サイン入りだったので一緒に買おうか迷ったけど、立ち読みしてもぴんと来なかったのでやめた。やっぱり気になるのは中国古代を舞台にした中国人による衒学的な小説ということだ(どちらも百合を扱った作品であることは前提として)。現代中国を舞台にした新刊の方は中国小説に期待したい語彙の豊かさはなく、だらだらした文章が続いているように思えた。
 そして予想通り、中国の歴史や文物をあまり知らず、漢の時代の宗教や精神文化もほとんど知らない自分にとっては、多分この小説を実際以上に豊かなものに感じられたような気がする。すぐに人を殴りつけたりする気性の激しい女の子が目立つが、これは古代だからなのか、中国人だからなのか、田舎の巫女だからなのか、それともミステリ小説だからなのか、自分にはよくわからないがそこがよい。この小説を読んでも、この時代の巫女とは何だったのか、どんな宗教だったのか、神明(神)とは何なのか、ぼんやりとしかわからなくて、物の本を探してみたくなる。若い作者が情熱を注いで描いた、さらに若い女の子たちの目に映った、遠い昔のお話だ。経書とか五行とかよくわからない記号システムに縛られた世界の中で(本当は縛られていないのかもしれないがよくわからない)、生きる意味を考えたり、自分の生きる世界を変えたいと願ったりしている苛烈な女の子たち。
 現在から2000年離れているという意味では、紀元前100年も、西暦3000年もそんな違いはないのだろう。この作品の読後感は、ミステリ小説というジャンルに寄せれば、僕の知るものなら西尾維新の小説(戯言シリーズとか病院坂黒猫シリーズ)かもしれないが、真っ先に思い浮かぶのは『ハーモニー』だ。それは本作が小説という虚構だからなのだろうけど、中国に対してもそんなとっかかりが欲しかったところだ。僕の乏しい知識では、中国の古典文学といえば髭の生えたおっさんが髭の生えたおっさんとの別れを惜しんだり、髭もなくなったおっさんが髭だけ残っているおっさんに酒や風景や道徳を語ったりしているしているような、萎えるシチュエーションのものばかりというイメージだからだ。屈原女性説のようなものがもっと必要だ。作者の世代やそれより下では、オタク文化の影響もあってそういう試みはたくさんあるのだろう。中国文化にきちんと入門したいものだが、残念ながら機会がないので邪道を行くしかなさそうだ。