歴史の息遣い

青木健『ペルシア帝国』

ペルシア帝国 (講談社現代新書)

ペルシア帝国 (講談社現代新書)


 ペルシャについてきちんとした本を読んだことがなかったので勉強になった。とはいえ、これほどのページを費やした割には有意な情報はあまり多くなかった気がする。ほとんどが支配者の系譜の記述で、社会・経済・文化に関する記述は少ない。また、その支配者たちの名前自身がペルシャ語からの音写で、長いし長音記号が多いし耳慣れないので頭に入らない。時々入る筆者のぼやきやつっこみもあまり面白くない。歴史書においては語りが重要だが、筆者も白状しているように、本書は元もメモ書き的な記述をベースにしたものらしいので、語りとしての面白さや快適さはいまいちだ。
 僕が知りたかったのはどちらかというと存在していないペルシャ、幻想としてのペルシャの方なのだが、現実の方のペルシャを知っておいた方が安心して幻想を楽しめるのかもしれない。というのも、いずれにしても現実のペルシャもよくわからないものらしいからだ。信頼できる記録があまり残っていない時代が多く、例えばアケメネス朝とササン朝の間の500年くらい(ヘレニズム時代)はペルシャ帝国が地方豪族レベルに縮小した空白の時代とされており、幻想の余地はいくらでもある。貨幣の分布や碑文でどうにか帝国の輪郭を予想できるレベルの解像度なので、やはり文学の力を借りなければどうにもならない。ペルシャ旅行をするまでイスラム期とそれ以前の区別もろくについていなかったくらいなので、まだまだ先は長いけれど。

 

ブリューソフ『勝利の祭壇』
 なんだか古代のエキゾチズムを味わいたくて本棚から引っ張り出してきたブリューソフ全集の中にあった、4世紀のローマの話。キリスト教とローマの土着宗教が拮抗していた時代のビルドゥングスロマン。主人公はガリアからローマに勉強に出てきた青年で、都会生活や勉学を楽しみつつも、皇帝暗殺によるキリスト教の根絶をもくろむローマ随一の美女、下宿先の元老院議員のませた幼い娘、玉の輿を夢見る売春婦、過激なキリスト教徒の娘などに翻弄されるエロゲー的な展開で楽しめる。時間があれば翻訳してイラストをつけて同人誌とかにできれば楽しいだろうな。
 まだ4分の1くらいしか読んでいないのでどうなるかわからないが、特に最後の真面目なキリスト教の娘レアは素晴らしい。自分が正しいと思い込んでいるからいつも主人公にはしゃべらせず、命令して従わせようとする。道中で出会った主人公を一方的に運命の人だと決めつけてストーキングし、アンチキリストを到来させるためにセクトの集会で性的な婚礼を行い、その後もローマからミラノまでストーキングし、主人公が活動への協力を断るとショックで気絶し、泣き出し、そのままことに及んでしまう。現実でこういう人に振り回されると、彼女を信じたい気持ちとあまりの断絶に醒めていく気持ちが入り乱れて大変だが、こうして小説で楽しんでいると懐かしさも感じる。レアにはハッピーエンドがなさそうなのは残念だが仕方ない。
 ロシア象徴主義のパイオニアであるブリューソフ自身は退廃的な詩を書いていたが冷静な理論家で、ファンの女性との関係がもつれて殺されそうになっただか女性が自殺しただかがあったはずだ。ベールイは幻想と現実の乖離に苦しんで病み、謎めいたグロテスクな小説や詩を書く方に行ってしまったが、冷静なブリューソフはまっとうな歴史娯楽小説にまとめてしまうのかもしれない(古代ローマに事物や文学に関する作者の注釈も充実している)。詩人としてのブリューソフは言葉の響きが硬くてあまり好きではないが、小説家としては割と疲れず楽しく読めるかも。