初音ミクさんのフィギュア

 思い立って久々に秋葉原に行ったら、歩行者天国が復活してて賑やかだった。
 先日、マルセルさんにPCの相談をしていた中で話題になった「ランスⅨヘルマン帝国」を買った。近年は中古エロゲーショップがどんどんなくなり、ネット通販を使わないなら、わざわざ秋葉原までいかないと見つからないものが多くなった。ロシアが元ネタにあり、音声付きで、恋愛要素もあり、攻略もそれほど面倒ではないということらしいので、そのうち手をつけてみたい。ランスシリーズはシステムも嗜好も自分には合わないことが分かっていたので手を出してなかったが(あるいはママトトのように挫折した)、この作品だけならひょっとしたら楽しめるかもしれないと期待している。
 あと、『ボクは再生数、ボクは死』を読んだせいか、久々にフィギュアを買いたい気分になってしまい、ある程度目星をつけてみてきて、初音ミクさんのを2つ買ってしまった。一つはなぜか最近石川センセが何度もリツイートするので刷り込まれて気になっていた中国風ミクさん。買った後に調べたら、デザイナーがメロリリのイラストの人だったからリツイートされていたのだった。確かに楽しげな色合いとフォルムにメロリリ絵的な可愛さを感じられる。ヌードルストッパーだそうだが、僕は最近はカップ麺を全く食べなったので普通に飾ることにする。写真はベールイの『受洗した中国人』を背景に適当に撮ったけど、残念な出来になっている。

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 2つ目はこれからの季節にいいかなと思った冬服のミクさんだ。色合いやポーズや表情が気に入ったので買ってみた。リニューアル版という色違いがもう少し安く売っていたけど、こっちの方が色は好き。ベールイの『吹雪の盃(第四交響楽)』を背景に写真を撮ってみたけど、やはり残念な出来だ。

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 昔少しフィギュアを集めていた時は綾波レイのものが多くて、これは彼女の存在形式にも合致しているので納得して買うことができたが、会心の出来のものはなく、もともとプラグスーツのデザインがあまり好きではないのでいつしか飽きてしまった(それでもプラグスーツ綾波が僕の本棚のあちこちに腰かけているのは落ち着く風景だ)。あとは最近は眺めるのを忘れていたが、パチュリークドリャフカ月宮あゆは出来が良かったので思わず買ってしまったものがあるが、これもけっこう思い出深い子たちなのですんなり楽しめる。
 初音ミクはそういう物語的な設定がなくて(二次創作にも興味はなくて)、そういう愛着を抱けないフラットなキャラクターなので、フィギュアを買ってみても造形的な可愛さ美しさを愛でるしかないので、自分には縁がないと思っていた。ところがいざ何かフィギュアを買いたいなと考えると、自分が何らかの思い入れを持ってお迎えできるようなフィギュアはもはやほぼ存在していないことに気づいた。自分が興味を抱けなかった、あるいはほどほどにしか楽しめなかったアニメやマンガのキャラクターはフィギュアとしてはほどほどというよりはマイナスなので買わない方がよく、それならば物語性から解放されているミクさんの方がマイナスではなくゼロなのでましだし、『ボクは再生数、ボクは死』のように結局造形や表層を通してしか愛せないということを受け入れてしまうのも楽だなという気にもなる。初音ミクのようにシンボルとして拡散しすぎると、消費する側の欲望が窮屈に方向づけられず、旬を過ぎたころに一人でひっそりと愛でることができる気がしてありがたい。やはりフィギュアは一人で楽しむものであり、無言で見つめたり見惚れたりするための何かであり、フィギュアの方も何らかのポーズや感情を表したまま無言でそこに存在し、ただ見られるだけの何かだ。人は「純粋に見る」なんていうカントやギリシャ哲学じみたことはできないから、見ているときには何らかの雑念がいつも生じているが、その雑念は自由であればあるほどよく、頭をほぐしてくれる。初音ミクという余白の多い存在は優しい。
 家人がフィギュアやオタク文化に理解を示してくれないので、自分を鼓舞するために屁理屈をこねてみた。あと、安かったのもいい。こんなに可愛いフィギュア(未開封品)が2つで2200円だった。15年前から何の成長も(衰退も?)ない気がするが、わざわざ秋葉原に行った甲斐があった。