ランス9 ヘルマン革命 (65)

 30年もの歴史があるシリーズの終盤の一作だけやってみてもひどく偏った感想にしかならないと思うが、せっかくなので一応文章を残しておく。確認してみたら合計7周したらしい。完全な作業感覚で進めていた時間が長ったが、苦痛になってもなかなかやめられない性格ので、ユーザーが作ったサイトの作品やキャラに対するコメントページを読んだりして(ランスの歴史を周回遅れで追体験して欲望を消費する作業)モチベーションを保ちながら、アミトスとエレナをユニットとしてそれなりに強化して気が済むまで続けた(バッドエンドは一部しか見ていない)。最近の家での時間はほとんどこの作品に使ってしまった。
 ランスシリーズを他のエロゲーと比較するのはあまり意味がないかもしれないが僕の場合はそうしないと書き始められないので比較すると、やってみて初めに目についたのは絵の特殊性だった。立ち絵がすごくでかい。特に男性キャラ人外キャラは骨格もでかく、全画面でやっているとかなりの圧迫感がある。この質感こそがランスシリーズの魅力の一つなのだろう。立ち絵は左右から飛び出してきて基本的に画面には2人で会話することが多く、そのためか少し横を向いていて、ユーザーに視線を向けてくることがないのが一般的なエロゲーとは大きく異なる。タイプはいろいろあるが、体はやや開いていて顔が横を向いているチルディステッセルの立ち絵などは動きがある感じがして面白い。
 デザインも個性的で、学校の制服が主流の一般的なエロゲーに比べると女性的な華美さのない旅装や戦装束のような作業着の質感の魅力をよく表す美術で、子供の頃に憧れたファンタジーRPGの世界を思い出す。露出度は低いが、例えばメルシィアミトスの服など、その袖やスカートの布地の厚みやボリューム感が目を楽しませてくれる。ケチャックのような下衆な脇役やモブの衣装にもそれなりの美しさがあり、バクストの描く実用性を無視したようなバレエ衣装のエスキスに似た華やかさがある。この点ではランス10よりも絵は好みに近い。
 主人公のランスも含めて立ち絵では誰もこっちを見ないので、プレイヤーは「英雄」たちが活躍する絵巻を眺める観客の立場だ。非人間的という意味での英雄感が特に強いのはランスで、英雄というよりは狂人に近いかもしれない。エッチシーンに勇ましい行進曲のようなBGMが流れ、とーう、とーうといいながら楽しそうに腰を振って可愛いヒロインたちを犯す狂人。子供が木で作ったお気に入りのおもちゃの剣を振り回して草をなぎ倒して遊ぶのと似た楽しさの感覚であり、繊細なエロゲー主人公とは無縁の純粋な邪悪さにうわあ…となってしまうのだが、そこにある吹っ切れた強さに惹かれないわけでもない。人が動くと必ずといっていいほど誰かにぶつかってしまうわけで、誰にも迷惑をかけないように考えていたら動くことはできない。誰かとぶつかり、誰かに不快感を与えながらも、結局は物事を動かしていくことに正義があると知っている強い人間の生き方だ。オタクにはつらい、陽キャリア充と呼ばれるような生き方であり、あるいは会社にいる暇そうな役員や嘱託が思いつきで若い社員を振り回してルーチンワークを邪魔し、楽しそうに新しいプロジェクトをやろうとするのにも似ている。「内面」のないランスは悲劇の英雄ではなく、ブィリーナのような民話に出てくる疲れ知らずの陽気な勇士のようなものであり、その無条件の強さは非人間的だ。読者はそうした勇士たちの「内面」に感情移入するのではなく、その素早い(無時間の)行動力にカタルシスを覚える。ヒロインたちが陽気な上司に振り回される若手社員だというとなんだか嫌なことを思い出しそうで楽しめないが、これは男性の脇役キャラには当てはまるかもしれないがヒロインたちは違うと思いたい。そう思わないと救いがないし、ランスが時折見せるちょっと人間的なゆらぎにも繊細に反応していることを知っているので。
 ヒロインたちはそれぞれ自分たちの理想や目標や生き方を持っていて、ランスはそこに邁進する中で運命を共にすることになってしまった同道者という趣きだ(かなみについては違う言い方をした方がいいのかもしれないが、本作しかやっていない僕が書けることではないかもしれない。彼女がランスに見せる幸せそうな笑顔が本作の一番の見せ所の一つだとは思うけど)。キャラクターとして一番新鮮で楽しかったのはミラクルだった。女版ランスなどともいわれているようで、現実を認識によってポジティブにねじ伏せようとする力はランスにも劣らず、ランスとかけあいをしても言い合いで負けることはない。レイプされても不敵な笑いを忘れず、ランスを寛大に褒めて許してやる。ランスと違って勉強家であるのもよい(一人称が「余」なのに)。個別ルートの突飛な展開も好きだったが、こういうヒロインとの30年というのは楽しかっただろうな。対照的に控えめなシーラも可愛く(さらにシーラはかなりエッチ方面も充実していて)、この二人は本作のヒロイン勢の軸のように思えた。
 戦略シミュレーションゲームであることがベースになっている本作のストーリーにいちいち突っ込むのは野暮だが、副題に革命を掲げているのにしては革命というよりは反乱の物語に近かった。地名などでも間接的にネタ元になっていそうなロシアでは、17世紀初めに動乱時代というものがあり、死んだ皇帝の血筋をめぐって僭称皇帝・偽ドミトリーの反乱というものが起きた。偽ドミトリーの死亡後も実はまだ生きていたという設定を背負った偽ドミトリー2世、その後は3世や4世が登場したそうだが、社会制度の変革には至らなかった。ロシア革命では、軍事作戦としても面も確かにあるけど、革命家と呼ばれる人々が様々な社会層の中に潜り込んでいって扇動・啓蒙を行い、身分制社会を解体したところに意義があるのだが、本作ではその面は一切なかった。あと、革命は権力奪取した後の方が大変で、そのせいで為政者は疑似戦闘状態を維持して仮想敵を作り出すために軍服を着続けていたが(レーニンは例外的に軍服を着なかった)、ヘルマン革命では成就後も社会制度はあまり変わらず、変わったのは人事だけだったようで牧歌的に見える。社会制度の変革という建設的な事業において破壊的なランスが活躍できるような気もしないので、描かれなかっただけなのかもしれない。現実の社会革命なんて描いても重苦しくなるだけだろうし。
 いろいろこね回してみても、結局はランスを中心とするハーレムの箱庭世界であって、それ以上の意味はない。その中でランスは永遠に若く、強く、性欲第一の男だ。革命とか崩壊とか大きな動きを描いているように見えるシリーズだが、逆説的にその箱庭世界自体は穏やかに静止していることが魅力のはずで(そこに浸っていれば安心できる)、完結させてしまったのはもったいないことだと思う。人が生きて物語が動いていく以上、どこかで終わらなきゃいけないのかもしれないし、そういう生き方をするランスを軸にしたシリーズなのだから当然なのかもしれないが。
 僕のパーティ編成の最終的な主軸は、ランス、リック、ロレックスの男勢と、シーラ、チルディ、ミラクル、志津香、ハンティの女勢となり、後はかなみ、アルカネーゼ、アミトス、エレナがだいたい入った。戦闘時の3Dの動きは、骸骨に放り投げられて攻撃を回避するミラクルや、踊りのように回転するチルディの必殺技、仮面ライダーや新体操選手のような小さなピグが楽しく、他のキャラクターたちの剣や拳や薙刀や投石杖や魔法もそれぞれ質感があって見ていて飽きない。まだクリアしていない自由戦闘のステージもたくさんあるけど、それでも単なるコンプリート欲だけで続けるのは難しそうだ。パラメータはプレイ後に残る残骸であって、大切なのは以外にも爽やかなものばかりだった物語の読後感の方なのだから。だらだらと感傷を引き延ばそうとしないのはいい作風だと思った。