上坂すみれさんの声と杏子御津さんの声

 初めてエロゲーを買ってしまった時、初めてアトリエかぐやのゲームを買ってしまった時、初めてフィギュアを買ってしまった時、初めて抱き枕カバーを買ってしまった時……。順番に並べるとだんだん下降しているような、あるいは上昇しているような感じがするが、そうした初めてのものたちの中に連なってしまうようなおののきがあった上坂すみれさんの音声作品杏子御津さんの音声作品
 素直に射精ですという言葉があるが、上坂ボイスで肩叩きされている音声で素直に射精してしまえるとはなあ。普通にマッサージしたり肩叩きしたりするときにあんな声でないと思うのだが、そこが暗黙の了解があって、あくまで健気な猫の女の子の話であって、最後にはちょっといい話風の設定も明かされる。でもあんな声なんだよなあ。どうしてもキモくなってしまうのであまり書かない方がよいのだが、上坂さんが知性派声優としてのキャラクターをうまくつくっているので(ラジオとか聞かないので僕が抱いている勝手なイメージだが)、演技における余剰部分としての吐息とかが予想外に色っぽかったときのよさがある(いわかける最終回の吐息にも聞き惚れた)。そのバランスが素晴らしい。大切なものを安易に言葉で包んでしまわずに、むき出しのまま聞き手にゆだねて差し出しているというか。むき出しといってもそれは技術であり技である。吐息はたぶん台本にも大まかな指示しか書けないだろうから、声優さんの本領が最も発揮される部分の一つかもしれない。アニメのキャラクターがいまいちだったり、セリフがいまいちだった時には脚本やビジュアルが悪いといえるが、音声作品の吐息が悪かったらそれは声優さんの演技が悪いということになる。とはいえ、そんなおまけの余剰部分でしか声優単独では評価されえないのだとしたら、声優というのはとても慎ましい職能であって、アイドルのように扱われているのは異常だと改めて思う。そういう声優というありかたの難しさも引き受けたうえでの全力の演技と、その結果としての作品におののくのは自然なことだ。
 杏子御津さんの18禁作品の方はさらに過激で、ほとんどエッチをしているときの喘ぎ声しかない作品で、しかも喘ぎ声は声優さん本人のアドリブだという。声優さんにこんな負担を強いていいものだろうか。買って聴いている僕もだが、制作した人もひどくないか。そういうぎりぎりを攻めるのが芸術なのだろうし、杏子さん(という区切りでいいのだろうか)もそこに芸術家としてのやりがいを見出したのだとしたら、僕はその挑戦を賛美してしっかり自慰するしかない。自慰するしかないというのがあまりにも情けないから、せめてこんな文章を賢者モードの今書いている。といってもこの作品、名称からして「【超感度】りえのNTRおま〇こに妊娠するまで連続種付け♪」という弁解の余地のないものなんだよな。これを僕は賛美している……。ほとんどが喘ぎ声なのだが少しはセリフもあって、そこから見えてくる「りえ」のキャラクターは特に魅力的でも好感を抱かせるものでもなく、ただの軽薄な欲望に流される女の子だ(でも情が移ってしまう)。ダメな設定部分と、ハードコアな喘ぎ声の部分の2極しかなくて地獄である(BGMもない。SEはもう少し控えめでもよかった)。単に杏子さんのほわほわした声を聴いてほわほわしたいなどという甘い考えは許されない。エロゲーの無駄な日常シーンは無駄ではないことが実感される。そもそも、僕の中で杏子さんの声のキャラクターイメージは「はつゆきさくら」の東雲希だ。他にもものべの(プレイ中)の夏葉とか運命君の梨鈴みたいな素晴らしいヒロインがいるしアニメでも多少なじみがあるけど、はじめに聞いた希ののんきでちょっと間の抜けたキャラクターのイメージをかぶっている。ところがこの音声作品はそんなのどかなイメージはなくて、でも声は杏子さんで、ハードコアなのだ。ハードコアといっても獣のように大声で喘ぐのではなく、だいたい押し殺した声なのが素晴らしい。セリフもだいたいは救いようのない下品な抜きゲー仕様なのだが、男性器を執拗に「ちんちん」と呼び続けるのは若干間の抜けた感じがして救いだ。エロゲーの喘ぎ声はシナリオが出しゃばらない純粋な欲望に近い気がして好きなのだが、みなさん声が元気すぎると感じるときもあるので、杏子さんが選んだ表現に正解を感じられたことが嬉しい。エロゲー的な喘ぎ声から離れたらAV、あるいは普通のセックスに近くなったとはいうまい。声で勝負する声優さんの技術の結晶である。文字にならない喘ぎ声の変化の中にストーリーの断片を感じる。エロゲー的な絶頂の絶叫は控えめなので、どこで絶頂するのか少し注意して聞いておかないと分からない。絶頂後は比較的さっさとシーンが終わってしまう。そういう緊張感も含めて、熱気と密度を感じさせる作品だ。
 ジャンルの進化というのはいつしか断片化して先鋭化して隘路にはまり込んでしまうことが多く、語りかけや吐息や喘ぎ声に特化したかのような音声作品にもその気配はある。でも個々の作品にとってはジャンルの運命などどうでもよく、その場限りの声優さんの最高の演技があるだけだ。十年先、二十年作にこうした作品はどうなっているだろうか。機材関係の技術はさらに発達して、いまの僕には想像もできないような体験が可能になっているかもしれない。でもこの上坂さんの声や杏子さんの声が消えることはないと思いたい。声は埋もれず、かき消されてしまう。吐息や喘ぎ声ならなおさらだ。そんなふうに形のないものだからこそ、いつかどこかで発せられた言葉にならない言葉として、形ではないものとして耳に刻まれる。