水族館と幻視

 また『白い砂のアクアトープ』をみて、昨日は久しぶりに江の島までドライブして水族館に行ってきた。八景島の水族館でコラボイベントをやっていたらしいのだけど(ついでに今日みた『先輩がうざい後輩の話』でも八景島水族館らしい場所でデートするエピソードがあった。これも仕事に関する複雑な感情を思い出させるアニメで、こちらは男キャラがでてきて恋愛要素があるのでさらに居心地が悪い)、江ノ島水族館の方は5回目くらいでなじみがあるので気楽に行ける。
 何度も同じ水族館に行っても、基本的な展示もイルカショーの内容も変わらなくて、正直なところ1回行けばだいたいわかってしまうので新鮮な驚きはなくなる。その割には入場料が結構高く、今回は2500円だったのでまた値上がりしたのかもしれない。年間パスポートが5000円なので、また作ってしまい、最低3回は来なきゃという気にさせられるのだが、展示自体はあんまり楽しくないのになぜ何度も来るのかという気もする。それは妻と初めてデートらしいことをしたのがこの水族館だったからであり、水族館の内容自体よりも、この水族館に2人で足を運ぶことを重ねる行為自体が目的になってきている。もともと出不精なので他に遊びに出かけるようなところもほぼなく、今は妻が体調を崩して弱っているので、何か元気だった時のことを思い出せるような、なじみだけど特別な場所が必要なのだ。
 今回は土曜日の午後遅めの時間についた。道路が混んでいたが、その分車の中でアニソンとかを聴かせて引かせたり楽しませたりできた。2時間弱で閉館時間になったが、満員のイルカショーを見たり(はじめは分かれて座ったけど、親切な人が詰めてスペースを開けてくれた)、大水槽の前の床に胡坐をかいて水中ショーやら泳いでいる魚たちをぼんやりと眺めたり、何かに使うわけでもないお土産のガチャやガラス細工やお菓子を買ったりして、機嫌のよい妻に付き合う。外出を嫌がる彼女だが、先週末に突発的に海ほたるに連れていったら思いのほか楽しかったらしく、今週末も病院から抜け出してドライブするのを楽しみにしていた。帰りは久々に近所の回転ずしでしこたま詰め込んだ。妻の入院でがんがん貯金が減ってしまい、彼女も体調や罪悪感で泣いてばかりいるので、僕もたまには普段の節約を忘れて非日常的なことに気持ち良くお金を使いたかったというか、お金を使って喜ばれてよかったかもしれない。
 江ノ島水族館は景気がよさそうにみえるけど、水族館で働く人たちの苦労や葛藤をイメージさせてくれる『白い砂のアクアトープ』のおかげで少しは親しみが持てるようになった。スタッフさんや観客の人たちだけでなく、大水槽もイルカショーもペンギンコーナーも今回は少し違った印象だった。オタクなのでアニメとかエロゲーを通さないとこういう理不尽なものに親しむことはできない。くくるは少しでも魚を好きになってくれる人が増えてほしいと願っており、自分も海の生き物が大好きという気持ちを核にして働いているけど、実際にやっているのは自分を人として周りに人やお客さんに好きになってもらうことを通して魚に関心を持ってもらうということであり、逆説的な感じもするし、営業の仕事の業の深さを感じる。別に魚たちは人間に好かれようと思って泳いでいるわけではなく(イルカは知らないが)、クラゲなんてただ水の流れに揺れながらプランクトンを食べているだけで、観客である人間を知覚する器官すらないだろう。くくるはお客さんにクラゲをみると癒されるんですねーなんて営業トークするけど、クラゲと人間が何か意思疎通しているわけではなく、人間は勝手に誤解して癒されている。くくるもそのことはわかっているのだろうけど、なんかうまくいっているのだからいいのかもしれない。第1期で出てきた水族館の幻視体験の伏線は終盤でどのように回収されるだろうか。人と人、人と魚は意思疎通できているように思えるときもあれば、思えないときもある。みんな本来はばらばらな方向を向いていて、ときおり幻視体験のようなことが起きる。それが水族館という空間なのかもしれない。

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水族館のお土産。あと青がきれいなピュフチッツァ女子修道院(聖なる泉と聖母の幻に関する伝説があるエストニア修道院)の手のひらサイズのイコン。