Steins;Gate(75)

 自分が秋葉原によく通っていたのは2004~08年くらいで、その後もたまに顔を出したりしているが、2010年以降は会社の近くのソフマップエロゲーを買うようになり、頻度は減った。その会社の近くのソフマップやその他のエロゲーショップも2010年代後半には規模が小さくなっていき、あるいは消え、今はひっそりと退場していきそうな雰囲気を漂わせている。秋葉原エロゲーショップも既にコロナ禍の前から失速していた感があり(単に僕の熱が冷めてきていたせいなのかもしれないが)、2017年に紙風船が閉店とのニュースを見ても時代の流れなのだろうなと思うだけだった。ちなみに、紙風船ではいろいろ買ったはずだが、価格や棚のどの辺に並んでいたかまで含めてぱっと思い出せるのは、らくえん(980円)、君が望む永遠(2980円)、在りし日の歌(280円)、腐り姫(4980円)、SNOW(1980円)、Clannad(3480円)とかかな。自分がエロゲーを始めて最初の数年間によく通っていた、あの薄暗いむき出しの店内が懐かしい。あとはもちろん、ソフマップやトレーダーなどにも通っていた。一度秋葉原に行くと、こういう店を巡回してくたくたになり、さらにとらのあなK-Booksで何かないかとうろついたり、フィギュアのショーケースや店をのぞいたりしてからようやく帰る。食事はしない。メイド喫茶にも(怖いので)入らない。禁欲的に二次元的な性欲だけを追求するのだ。たまに中古のPCや周辺機器を買うこともあったが、それも基本的には快適なエロゲー環境のためだ。コミケにも一人で行ってあるていど歩き回ったら満足して帰る。森川嘉一郎趣都の誕生:萌える都市アキハバラ』(2003年)や東浩紀動物化するポストモダン』(2001年)を読んだりして、こうして秋葉原に足を運んで自分の欲望を見つめるのは意味のあることだと思っていたし、幸せだった。
 今となってはこれは既に思い出の中の秋葉原だ。といっても僕は単に一人でショッピングをしていただけだ。リアルで会うようなオタ友はいないので、本当に一人で歩き回っていたというささやかな思い出しかない。だから当時は秋葉原を舞台にしたエロゲーにも特に関心はなかったし、2010年にシュタインズ・ゲートが発売されて話題になっても、まあいつかやってみようかなという程度しか思わなかったし、2011年にアニメが放送されたときには、どうせ原作は全年齢版だし、ニコニコ動画でアニメをやってるからそっちで見ておくかという程度だった。アニメは確かに面白く、キャラクターはみな記憶に残る個性的なものだったし、2018年に続編のシュタインズ・ゲート・ゼロのアニメが放送されたときにも逃さず見たくらいには楽しませてもらった。
 僕のシュタインズ・ゲートはそれで終わったはずだったけど、なぜか今更原作をプレイしてみたくなっていた。たぶん、生活の変化などで自分にとって秋葉原が本当に遠くなってしまったからだと思う。11月くらいにプレイを始めて、家人が実家に帰省した年末に一気に読んだ。大みそかの前後は30時間くらいぶっ通しでプレイして目が痛くなった。読んでいた止められなかったからだ。それから寝て、起きて、また20時間くらいぶっ通しで読んだ(正確には、ルート分岐がわからずさまよっていた時間も長かった)。そういうプレイの仕方も含めて懐かしの2000年代だった。テレビを見てストーリーは知っていたけど、それでも手が止まらなかった。キャラクターの造形やキャラクター関係のバランス、ストーリー展開やオタクネタなど、いろいろなことが自分にとって高度に居心地よく調和していた。自分には秋葉原で会う友達はいないし、2000年代にはエロゲー板の様々なスレだけでなく、VIPスレやまとめサイトを熱心にみてはいたけれど書き込むことはほぼなかったけれど、代わりにこの作品のキャラクターたちが元気いっぱいに2010年の秋葉原を生きていた。それを2021年と2022年の現在から見ると、なんだか温かいものを感じる。2010年からは2022年なんて見えていなかっただろう。鈴羽はまだ5歳くらい。β世界線のオカリンが殺されるまで3年しかなく、もうレジスタンスでのタイムマシン研究は形になり始めている頃だろう。2036年まではあと14年。昨年くらいから世界的な脱炭素化の動きが報じられるようになったが、2036年にはエネルギー問題や食糧問題のせいでタイムマシンに投じられる金などなくなっているかもしれないし、2010年と比べても世界は対して進歩していないかもしれない。まだ毎年のようにコロナみたいな疫病が流行っているかもしれないし、世界は脱炭素化を諦めて石炭を燃やしたり原発を動かしたりして、僕も古くなったガソリンエンジンの軽自動車に乗っているかもしれない。14年後に自分が何歳になっているか想像すると悲しいが、まだウィンドウズで動けば、シュタインズ・ゲートを起動してみたい。
 少しは作品の内容にも触れておくか。といっても語りたいことはもう細かいことくらいしかないかもしれない。一番笑ったのは、たぶん、アニメ版ではあまりフォーカスされなかった(と記憶している)、フェイリスルートの10円禿げ、4℃だった。いちいちセリフが長くて、几帳面で、日常生活を送るのに苦労してそうな「伊達ワル」だ(だから禿げたのか?)。鳳凰院凶真とずっとかけあいやっていてくれてもよかった。あらためて指摘するようなことでもないが、フェイリス役を桃井はるこさんが演じているのも素晴らしい。桃井さんの人柄などはまったくしらないが、2000年代の秋葉原の象徴のような人だと思うし、彼女の歌は今聴いても素晴らしいものが多いと思う(個人的には「かがやきサイリューム」とか「泳・げ・な・い」とかが好き。桃井はるこも2000年代のVIPのアニソン実況スレで知った)。トゥルーエンド以外はSERNがディストピアを作ってしまう可能性がある結末のような気がするけど、フェイリスと進む未来ならいいのではと思えた。すくなくともタイムマシンが発明される2034年までの24年間は幸せに暮らせる可能性があるのだ。
 あと、紅莉栖の隠れオタっぷりもアニメでは(僕の記憶では)あまり目立っていなくて、オタセリフが次から次へと口を突いて出てしまうのもよかったが、それに限らず口調が2ちゃんスレの男言葉そのままなのが楽しかった。その意味でどうみても助手だった。まゆりのメールで「w」が使わていてもちょっと可愛らしいなですむのに、紅莉栖のメールで使われていると隠しきれないオタク臭が漂っていて笑ってしまう。というか彼女は途中から安心してオカリンにそんなゆるいメールを送るようになったのが可愛かった。基本的にねらー文体を使っていない(あるいは使いこなせていない)僕としては、紅莉栖は感情移入できるし、彼女が半ば無自覚にさらけだしたり恥ずかしがったりしているやりとりをみていて幸せになる。
 他の人たちも指摘している通り、作品前半はわりと息つく暇もなく引き込まれる展開が続くが、Dメールを削除して物語をたたんでいく後半はテンポが悪くなっていく。まるでブラックホールの中心に近づいて、事象の地平線を超えると外からは動きが止まって見えるかのように、重たい展開になっていく。苦悩する主人公のセリフが増えるからであり、そもそも主人公に音声がついているからなのだが、声優さんの腕の見せ所でもある。この辺はアニメ版を見たときにも重苦しい印象があったと記憶していて、けっして楽しめたわけではないが、もうここまでくるとプレイヤーとしては見届けることしかできない(それまでも基本的には見届けただけだが)。プレイしたのが時間のある休暇中でよかった。そうしてフェイリスやルカ子、まゆしぃ、紅莉栖たちの幸せそうな姿を見られればそれで僕も嬉しいし、スクショをとってみたりするだけである。
 そういえば、この作品の美術面にも触れておきたい。アニメだけでなく原作もプレイしておきたいと思ったのは、この絵をきちんと見てみたいと思ったからだった。全体的にくすんだテクスチャーで塗りつぶされ、一般的なエロゲーやアニメとは異なるデフォルメのキャラクターデザインは、10年前の僕にはこれではヒロインとの恋愛とかいう感じじゃないから後回しでいいやと思わせた。二次元なのにフラットではないというか、くすんだ陰影があるのはデジタルからアナログな絵本的な美術へと後退しているように見えたのかもしれない。でも2022年の現在から振り返ると、これは僕の記憶の中の秋葉原の陰影にもつながっている、というと安易すぎるかもしれないが、2011~14年に改修されたラジオ会館やだだっ広くなった駅前の広場に限らず、2000年代のオーラを失ってのっぺりした現在の秋葉原をみているからこそ、この作品には既に初めから失われてしまっている(くすんでいる)おかげでこれ以上は失われることのない秋葉原が息づいているように思われて、作中で秋葉原を背景にしたヒロインたちのスクショを撮るという意味ない行為を何度も繰り返してしまった。あと、単純に見惚れてしまうほどに絵がきれいだったということもある。ルカ子の上気した顔とか嫁すぎる。せっかくだから気軽に見れるようにいくつか置いておこう:
 本作を買ってからまもなく、年末の秋葉原で続編のゼロも買ってきた。ネットでも買えるけど秋葉原で買ってよかったと思う。だが残念なことに、不具合があってタイトル画面が真っ黒になってしまってゲームをスタートできない。修正パッチも出ていないのでニトロプラスにメールしてみたが、ひょっとしたらこのままプレイできないかもしれない(別のPCにインストールしたとしてもプレイするたびに周辺機器の配線を変える必要があり面倒)。比屋定真帆はアニメ版で好きなヒロインなので残念だが、こちらの本編がきれいに終わったのでいいかな。
 というわけで2022年は2010年から始まったが、今年も旧作をたくさん楽しんでいきたい。時間は放っておくと勝手に流れていってしまう。現在なんていうのは幻想のようなものなのだから、仕事じゃないんだから無理してしがみつかずとも、過去に好きなだけさかのぼってからまた現在に帰ってくればいい。