ユメミルクスリ (65)

 ずっと前から少し気にはなっていた作品だけど、「面倒くさい感情に巻き込まれそうだな」と先送りにしているうちに15年以上が過ぎていた。その間に僕の生活もだいぶ変わってしまって、今では大好物のはずの逃避行のテーマで呼び起こされる感情も懐かしさが先に来るかもしれない。何より歳をとった。中年男性の逃避行にロマンはないので、今の自分の年齢と現実を考えずにゲーム世界に没入しようとするのだが、この15年の間にモニタは大きくなり、そのせいで小さくなったゲームウィンドウを拡大することもしないまま最初の会長ルートを終えてしまった。その後でディスプレイの設定をいじればよかったことに気づいて粗めの1280x720にしたら、Windows XPの頃にもどったみたいで懐かしくなった。とはいえ、学校での人づきあいに緊張しなければならない生活はもはや記憶の遠い彼方であり、会社人としても新しい人づきあいがほぼなくなって久しい(仕事や会社は順調ではないのだが)。
 それでもこの作品を始めたきっかけとなったのは、ネットで近隣の高校の評判などを調べてみたことだった。毎日家人くらいしか話し相手がなく、新しい話題も大してあるわけでもなく、相手は僕相手でも一日に一定時間何か話をしないとストレスが溜まってしまい健康回復に支障をきたすので、すぐに何か差し迫った選択しなくてもよくて気晴らしになるような明るい話題となると、子供の将来のことをネタにあれこれ無責任なおしゃべりをすることに落ち着いていく。どんな専門を勉強するかとか、どんな部活をやるかとか、そんな他愛もないことだ。今住んでいる地域は僕や家人が生まれ育ったところではないので、どんな高校があるのか知らないことに気づいて調べたところ、口コミサイトで現役高校生やその親が自分の高校についてあれこれ語っているのを見つけて、今は便利になったものだと感じると同時に、現役高校生が陰キャとか陽キャとかスクールカーストとか言ってて窮屈そうでちょっと気の毒だった。そしてちょっとだけ大昔のそういうひりつくような空気を思い出して、ユメミルクスリやってみようかなと思い立ったのだった。
 弥津紀先輩はまあよくある会長キャラ(CV一色ヒカルさん)の話かなと思っていたが、かなり追い詰められて不安定になった女の子の投げやりにがんばっている感じがよくて目が離せなかった。ハイスペックな才女がやけくそに転がっていく生き方は、1回目のプレイではそのままバッドエンドに転がっていって消えてしまい、それはそれで余韻があったのだが、やはりやり直してハッピーエンドにたどり着いてよかった。クスリをキメてホテル最上階のバルコニーから落下した彼女は、主人公の家の二階まで木を伝ってよじ登ってくる。そんなアップダウンもいつかは終わる。転がり続けた石は妊娠という現実にぶつかってようやく止まる。明日を感じられないという不安を消すための狂騒が、子供が生まれることで前向きに落ち着けたというのは、当たり前のことなのかもしれないけど弥津紀先輩の生き方を見た後だと感慨深かった。健康というのは当たり前のようで当たり前ではなく、苦労しないとそれを手に入れられない人もいる。安息する彼女をみられたのはやはりよかった。
 次のケットシー・ねこ子は、これぞこの作品で読みたかったような切なくなる話だった。結果的に終わりよければすべてよしになったとはいえ、この話で描かれた大半の部分はドラッグというわかりやすい悪の上に成り立っていて、全ての喜びも悲しみもきらめきも、偽りの幻だと言えないこともない。でも僕自身も別に義人のような生き方をしているわけではなく、どこかにゆがみを抱えながらそれを見ないふりをして喜んだり悲しんだりしているところがあるので(作中の色がない生き方云々のくだりはさすがに僕の歳になるとあまり響かなかったけど)、ねこ子の悲痛な明るさに、妖精郷というあまりにも頼りない幻をひたむきに探し続ける姿に心を奪われ、明け方の別れ際に楽しさと寂しさを覚える。そしてそんなふうに探すことで失い続けてしまう彼女を見ていられた時間があまりにも早く終わってしまったこと、早く終わらせなければいけなかったことを寂しく思う。原画担当のはいむら氏はラノベをアニメ化したものの方でおなじみで、前から全体的にキャラクターの頭が大きくて肩幅が狭いことで未熟な頼りなさを表現しているのが印象に残っており、ラノベ原作は読んでいないがイラストの淡い色使いがよさげだったのだが、ねこ子はそのよさが十分に発揮されたキャラクターデザインになっていたと思う。痩せていて小柄で軽そうだけどそれなりに均整がとれているようにもみえる身体はまさに妖精のようで、優しいクリーム色の軽やかな衣装も同じ。そして不自然なピンク色に曇った、爛々と輝く瞳。利用している電車や駅で時折、ショッキングピンク魔法少女コス及び同じ色のツインテールのかつらで女装した異様なおっさんを見かけることがあるのだが(最近はコロナ禍で僕もテレワークだしあまり見かけないのだが、妖精郷に旅立ってしまったのだろうか)、現実の妖精コスはそんな風にどうしてもギラギラした悲しいものになってしまう。ねこ子の淡い妖精スタイルはこの作品の美術の優しい色使いのおかげか、主人公の目という色眼鏡のおかげかはわからないが、かん高くてせっかちな彼女の声と対照的に柔らかくて儚げでとてもよい。髪の毛も柔らかい色のブロンドになっているのはお約束のオタク文法なのかと思っていたが、わざわざウィッグをかぶっていたことが後に判明した。宏子ちゃんはこの衣装を着て変身するとき、あるいはさらにこの衣装を自分で選んだとき、どんな気持ちだったのかなと想像したくなるような衣装だ。エンディングの観覧車の中で花火に照らされて彼女の瞳は半分、またピンク色に染まるが、そまるのは瞳だけではなくて夜空全体であり、彼女を包む空気の全てであり、これもまた幻想的な妖精郷につながっていることがわかって嬉しい。高みを目指していた彼女は観覧車で高みに到達した後で、そのまま地上まで観覧車で降りてきてしまうのだが、色づいた世界はいつまでも残っていてほしい。
 最後のあえかルートはどうにも微妙な出来だったが、素直に感動できなかったのは僕が歳を食ったおっさんになっていじめの問題が身近でなくなってしまったことも一因だと思う。それにしてもテキストが不親切で読みにくかった。陰湿ないじめとか悪役とかそれを恐れて日和る主人公とかはそういう物語なのでいいのだが、主人公があえかに対してデリカシーのない幼稚な言動を繰り返すのでストレスがたまった。主に後半になって主人公が覚悟を決めるまでの間なのだが、もう少し女の子を大事に扱うか、せめてデリカシーのなさが目立たないように描写してほしかった(とりあえず自分のことは棚に上げる)。あえかはみんなとはズレた不思議な女の子だからいじめられたと説明されていたけど、読んでいてズレていた印象はなく、むしろ一番常識的だったし(ついでに声が一番きれいだった)、主人公の方がよっぽどズレていたようにみえた。それも意図的な演出だったのかもしれないが、とにかくいじめという物語レベルだけでなく、主人公の魅力という半分メタレベルでも気の毒なあえかについてのストレスフルな物語だった。そのおかげで終盤の屋上で二人がアントワネットに復讐するシーンカタルシスがあっただけではなく、ようやく文体に対する緊張が解けて、純粋に文章を楽しんでブラックユーモアに笑うことができた。その後のハッピーエンドに至る流れもよかったのだが、個人的にはその少し前の、あえかが南国とかのきれいな写真を見ながらいつのまにか眠ってしまったシーンが印象に残った。別に海外旅行がしたいとか具体的に考えているわけではなく、旅行会社の営業ツールであるイメージ写真の中に逃避するような、そんなところに小さな安らぎを見出そうとするしかないような彼女が、ようやく主人公という一緒に戦ってくれる人をみつけて、安堵してその写真を見ながら寝落ちしてしまったというのが可愛くもあり、切なくもあった。しかし全体的にストレスがたまるシナリオだったので、エピローグの二人の穏やかな生活、特にあえかの幸せをもう少し楽しませてほしかった。

 いちおうまとめらしきことを書いておくと、この作品の魅力は、主人公たちが倫理や道徳の規範を踏み破った時に得られる解放感や刹那的なきらめきだった。踏み出した先にも幸せはあり、もし規範に復讐されることがあったとしても二人でなら受け止められるというふうに終わり、読後感が爽やかだ。プレイするのがずいぶん遅くなってしまったが楽しませてもらった。

 最後に音楽についても一言。OP曲「せかいにさよなら」と淡い色調の絵のムービーを何年も前から気になっていたので、プレイし終わってそれが既知のものになってしまったのが少し残念な気もするが、やはりいい曲だった。BGMも聴きやすくて、久々にデータ吸出し、変換・編集作業をやってしまった。しばらくは音楽を聴いて余韻を楽しもう。