日々のかけら

 前回書いてから2ヶ月ほど空いてしまったので、何か最近のことでも取りとめなく書いておきたい。
◆できればこれが最後のフィギュアになるかなと思いつつ、綾波レイ・ロングヘアバージョンのフィギュアを買った。髪だけでなくて手足も長くなってしまって、それでも綾波レイの雰囲気は残っている。シン・エヴァのDVDが出たらたぶん買うのだろうけど、たぶん上映版から大した変更はないだろうから、冷めた気持ちで記念品として手元に置いておくくらいになりそうだ。
◆フィギュア用というわけではないのだが、部屋の中に場所がなくなってきたのでダイソーで買ってきて本棚から水平に突き出すように差し込む木の板がだいぶ増えてきて、本棚が樹木のように広がってきてしまった。その小枝たちにフィギュアやアニメ、マンガなどが乗って賑やかな感じになっている。アニメは最近は居間のテレビで観ることが増えており、そのために買った中国製の安いDVDプレイヤーが活躍している。以前は録画したものを観ていたのだが、そんなに録画もあるわけではないので買った。テレビは主に夜、妻氏の足裏マッサージをしながら二人で観ていて、基本的にアニメに関心のない彼女は途中で寝てしまうことも多いのだが、僕と一緒にいると落ち着くので大人しく観ている。最初に観たのは録画した『明日ちゃんのセーラー服』で、これでアニメも二人でそこそこ楽しめると信用してくれたようで、次に『夏色キセキ』を観てこれもどうにか成功した。その次にヤフオクで買った『瀬戸の花嫁』を観始めたが、これはノリが子供向けのドタバタラブコメのようなので完走できない可能性がある(評判はいいらしいので僕だけでも観るつもりだが)。エヴァのテレビシリーズも観始めたが、縦横比が崩れて横長になってしまうので休止。京アニKanonも観始めた。あと、録画した異世界薬局も観ているが、若干興味を持ってもらえているようだ。邪神ちゃんも少し気に入っていた。
◆同じく僕と一緒にいられるという理由で、ドライブに出かけることも好きで、運転中にアニソンやエロゲーのBGMをかけている。ときどき興味を持って、何の曲かと聞くので、砂漠のエロゲーだとか(朱)、弥生時代エロゲーだとか(天紡ぐ祝詞)、人生のエロゲーだとか(Clannad智代アフター)、一番泣いたエロゲーだとか(ONE)、僕がいちいち鬱陶しく説明して鬱陶しがられたり引かれたり、たまに感心されたりして、ともかくおしゃべりできるのが嬉しいようだ。彼女も気に入っているBeautiful world(エヴァの歌だがラーメンの歌と認識されている)や倉木麻衣の古い歌が流れると機嫌がよくなり、唐突に田中理恵百人一首朗読や、ペルシャ旅行で買ったペルシャ民謡が流れ始めると脱力し、相対性理論ボンジュール鈴木やSOUL'd OUTの歌を小さな声で一緒に歌って笑ったりしている。
◆妻氏は体も心も弱くてすぐに参ってしまうので、リラックスしたままお手軽に外出できるドライブが好きなようだ。決して乗り心地のよくないMTの軽自動車なのだが、車に乗る機会が減るからと自転車を買おうともしない。よく出かけるのは江の島方面で、先日は三浦半島に海水浴に行ってきた。僕は泳いだのは7年ぶりくらいで、8時には駐車場が満員になる可能性があると聞いたので6時過ぎに家を出たのだがガラガラで拍子抜けした。水の透明度が低く、足元にある岩がみえずに踏んでしまって足が痛くなったが、エメラルドグリーンがかった海に揺られて気分転換になった1日だった。
◆また、先日はみなとみらいの高層ホテルに一泊したいという希望に付き合って、簡単に日帰りで行けるところに車で行ってわざわざ宿泊してきた。県の補助制度で1人7000円分の割引・クーポンを使えたおかげだ。みなとみらいは完全の僕の関心の対象外なのだが、たまにはこちらも付き合う必要がある。台風前の風に揺れる夜の観覧車や、夜も温まったままの波打ち際の広場や、中華街の雑貨屋や花文字。散財に僕がいい顔をしないので(途中で付き合いきれなくなって感情が死んでしまう)終始楽しいというわけではないのだが、終わると全部ひっくるめて楽しかったということになる。出かけた後には僕が絵日記のようなへたくそな絵を描くのが楽しみだそうで、それを大切にして元気のない時などに眺めているという。最近はラーメン屋巡りやブックオフといった男くさいことも楽しんでくれるようになって、金がかからなくなってきて助かる。我が家の家計にあまり余裕がないと何度もぼやくのは面白くなく、妻氏もお金のことを考えると頭がさえて眠れなくなって睡眠薬を追加したりしなければならなくなるのだが、何度も繰り返したせいか彼女にも貧乏性思考が少し身についてきたようで助かる。二人で一番よく行く店はおそらくダイソーなのだが、適度な無駄も許容できる生き方をするのなら、ダイソーレベルで満足できる感覚を手放したくない。この水準にとどまった方が小さな幸せに気づきやすいからだ。昨日は車で奥多摩の鍾乳洞に行こうとしたが、あと5kmまで来た山の中で今日はもう混んでるから入れないと言われ、五日市の奥にある滝に切り替えた。ひと気のない夕方の山の中で力強い滝を眺めてリフレッシュ。ほとんど車の中で過ごした1日だった。
◆この夏は本格的に植物栽培を始めた。始める余裕ができてよかった。実益を兼ねたいところだが遊び半分であり、ミニトマト、トマト、ブルーベリー、パセリ、ゴーヤ、シシトウ、ナスなど、収穫できるようになったものもあるが収量はわずかだ。植物に水をかけるという簡単なことで何かを育てているという感覚を得られ、会話のタネになるのが一番のメリットであり、本当に育つのは運が良ければ程度でいい。今日は彼女が竜胆の鉢を500円で買ってきたので、僕は『神樹の館』の話をしてしまった。
エロゲーは最近は月に数回しか起動していないのだが、アマカノSS+ですぐにエッチシーンで止まってしまいなかなか進まない。感想は少し書いたが、まとまりがないので当面はメモのままだ。サクラノ刻、ブラックシープタウン、田中ロミオ新作は買いたいと思っているが、このペースではいつになったらプレイできることか。ロシアのエロゲーの第2作も発売されたが、舞台が80年代の日本ということもありプレイしないかもしれない。来年発売の『ONE.』も気になるが、テキストがそのままだったら買ってもプレイするだろうか。リライトされたとしても、ストーリーがそのままだったらどうだろうか。
ツイッターのキャンペーンに当選してクレヨン先生の素敵な絵葉書(1~5周年記念イラスト各1枚)を贈っていただいたので感謝のエントリでも書こうと思ったのだが、ハチナイについて何か書くのは意外に難しかった。物語を楽しむよりも、野球のミニゲームを遊んでいる時間の方が長くなってしまったので(始めた頃は過去のエピソードをどんどん読むが、それが終わると更新ペースでしか読まなくなるので進行が遅く感じるようになるということもある)、ファミコンのような単なるパズルゲームと大して変わらない印象になっていく。ファミコンも子供の頃にドラクエ3ファイファン3を楽しんだ思い出があるが、いまさら何かまとまったことを書くのは難しい。そうしたゲームのインターフェイスのデザインや効果音のようなディティール、そして難しいクエストをクリアした時の達成感を懐かしく感じるように、ハチナイでも毎日のように見ているSDキャラの動きやインターフェイスのデザイン、適時打を打つ時の水着野崎さんや着物太結ちゃんや花嫁柚や温泉本庄先輩のカットインをそのうち懐かしく思うようになるのかもしれない。毎日依存症のように立ち上げて様々なアイテムを集めているが、すでにある程度URでスタメンを組めるくらいには強くなって(チーム評価49450)、メンバーが固定化されて新鮮味がなくなってきてしまったので、投じる時間に対して得られる楽しさが減り、遊ぶモチベーションは弱くなってきてしまっている。これがソシャゲーのライフサイクルなのだろうか。
夏色キセキを妻氏と観る前、春ごろに再視聴した時に書いたメモも古くなってしまったけど貼っておこう:夏色キセキの5巻、紗季の島に行く話を見返した(ゆううつフォートリップ、旅の空のさきのさき)。好きな話だ。島に着く前に夜明けの海をみながら紗季と夏海が言い争いをして涙が出てきてしまうシーンで、またぐっと来てしまった。どういう仕組みなんだろうな。紗季はずっと抱えていて、夏海がずっと紗季のことを考えていた描写があって、うちに来ればいいよ、と言ってしまって、ついに溢れてきてしまったのがよかったのかな。あと、考えてみれば、夏海と小晴はけっこう似た性格の女の子らしいから、紗季は引っ越し先で小晴と仲良くなって、夏海を思い出したりしそう。千晴の方が可愛いのだが。紗季が消える夢を見て、その後で実際に消えてしまうのだが、そのことで紗季にはいろんなことから目をそらして消えてしまいたいという思いもあったことがほのめかされる。実際には目をそらさずにむしろまわりがよく見えてきてしまい、気持ちの上でも引っ越しを受け入れられるようになるのだが。オーディオコメンタリーも聴いてみたが、監督にとってもこだわりと苦労があったエピソードだったらしい。大枠のストーリーはシンプルだけどそこにいろんなものを込めるのが大変なんだな。何度も書き直したという脚本家さんの話もなかなか面白かった(なぜフェリーのパートが長くなったかとか)。監督からロジカルに組み立てるように何度も指導されたとのことだが、夏海との言い合いから消失、消失の解除まで、確かにきれいに組み立てられていることにあらためて気づいた。言い争いのシーンで紗季役の高垣さんも収録時に泣いてしまったそうで、その思い入れを聞けたのもよかった。
◆アニメ『シャインポスト』が楽しみになっている。第4話の杏夏の回から3回連続で素晴らしい回が続いて、第5話と6話の理王様の回は2回とも思わず涙ぐんでしまった。僕はアイドルものが基本的に好きではないのだが、気がついたら最近はアイドルものばかり摂取している。そういう作品ばかりということもあるのだが(今ならラブライブやルミナス・ウィッチーズやExtream hearts、あと寝る前はいまだにOnly one yellのいろんなバージョンを聴いていて、睡眠導入剤になっている。なお、Selection Projectはキャラデザや表情のニュアンスが多分今までみたアイドルアニメで一番よかったが(動画工房の絵が好き)、ストーリーはアイドルものとしては最悪に近かった。終わり方もひどかったけど、そういうひどさがかえって想像を掻き立てていつまでも気になる作品にしているのかもしれない…とか書いているうちにまた気になりだして、思わずネットでクリアファイル(EDの最後の決め顔たちを印刷したもの。特に鈴音と野土香の表情が素晴らしい)をポチってしまった)、そういうふうに何度も同じような話をみていると、歌と踊り、特にライブコンサートという、形あるものとして残らずに消えていくものに夢をみるアイドルという存在と、形がないからこそそこに無限の価値を見出そうとするアイドルファンという存在の不思議な関係に、自分もいつのまにか巻き込まれそうになっていくのを感じる。エネルギーのあった若い頃にはまらなくてよかったというべきか。その関係の物語はだいたい、アイドルがビジネスとして売れ始めると終わってしまうのは、アイドル文化がまだ成熟していないからなのか、それとも成熟しすぎたせいなのか知らないが、シャインポストをみていると、売れないこと(そして売れなくても「ふむ姉さん」や気絶する姉さんや理王様を褒めて光る客のような温かいファンがいること)こそがアイドルとして輝くための重要な条件のように思えてしまう。そう考えると、アニメは折り返しの6話まで進んで主要メンバーの問題はだいたい解決され、あとはグループが成功していくだけのようなのでクライマックスは終わってしまったのかもしれないが、それでも毎週楽しみにしていきたい。肝心の歌はまだ気に入ったものがないのだが、こちらも期待したい。