雑記(うたわれ実況、アマカノ2、進撃・ゴブスレ)

◆最近は博衣こよりさんのうたわれるもの散りゆくの実況動画をみていた。1回の配信が8~10時間くらいあって(途中でお花摘みタイムが入ったりする)、他にも毎日のように何かしら長時間配信しているらしく、仕事とはいえスタミナがあって好きでないとできないないはず。まったく疲労を感じさせずに夢中で楽しんでいるのがすごい。話し手としてはサロメさんのようなカリスマはないが、作品にまっすぐ向き合っていて反応も安定していて、エッチ方面の反応もよいのがオタクフレンドリー。体を壊さず続けてほしいものだ。
 うたわれるものは何年もロストフラグをプレイしていて、今月は水着ニライカと水着シュクレが2アカウントで出たので割と調子がよいが(もう一つのサブアカでは何も出ず、中年ハクがいないのでレベルもまもなく後発のサブアカ2に抜かれそう)、初代うたわれはストーリーをほぼ忘れていたので実況を楽しむことができた。「散りゆく者への子守歌」は単なるコンシューマ移植かと思っていたのだが、戦闘システムを変更してキャラを増やしたリメイクらしく、ロスフラで見覚えがないと思っていたキャラとかもここが初出かと納得したりした。デリホウライ(すっかり忘れていた)やディー(すっかり忘れていた)やミコト(すっかり忘れていた)やクーヤ(そういえば夜におしゃべりに来てたなと懐かしく思い出した)やウルトリィ(そういえば赤ちゃんの子守りの話だったなと懐かしく思い出した。赤子の名前がフミルィルだったのは今回初めて認識した)などストーリーを忘れたままロスフラのキャラとして使っていたが、よい復習にもなった。とはいえ、自分のプレイ時に一番印象的だったシーンである、最後に仮面がゆっくりと降りてくるシーンと、エルルゥの最後の一枚絵のシーンのインパクトは、当然ながら自分のプレイ時の体験を超えるものではなかった。リメイクは3Dのシーンが多くて人形遊び感が強くなりすぎている印象もあった。最後にハクオロが仲間の一人一人と別れの言葉を交わすシーンはあんなに長かったっけかな。続編のハクの別れと似ていて、そっちに寄せて作り直したのだろうか。自分のプレイ時の記憶はほぼないので分からない。あと、一番の違いはキャラボイスがついていることだが、いつもながら確かにキャラの印象がくっきりして深くなる一方で(エルルゥの絶叫とか素晴らしい)、テンポが損なわれる感じも多少あった。自分が初代をプレイしたのは20年くらい前だが、いつかまた声なしで再プレイしてみたいなとちょっと思った。
 そうこうしているうちに8月ももう終わり。週末から翌週前半はこよりさんの実況をみる日々が続いている。ロスフラはTo Heartコラボで、あかり、マルチ、カミュを3アカウントでどうにか入手できた。みな強い。コラボストーリー自体は他愛もない話で、To Heartや痕のSDキャラが粗い解像度でそのまま出てきてワイワイやっていた。その感じはLeafの当時の作品のクリア後のおまけとかであったかなというような。ロスフラは話がなかなか進まない。9月はカワタキャラが出るらしいので少しガチャが楽しみだが、やはり進まないのだろう。ハチナイもほぼガチャを引いて時おり短いキャラストを読むだけの静かなゲームになってしまったし(それでも毎日ログインしているが)、FGOとか崩壊スターレイルとか、何か新しいゲームをやるべきなのかもしれないな。そんなことしている場合じゃないのだが。
◆最近は子供がゲゲゲの鬼太郎にはまっており、寝る前にVKで昔のエピソードを見せたりしている。僕が子供の頃に見ていたのは80年代中頃に放送されていた第3期らしく、オカリナの穴から鬼太郎や仲間たちがぴょこぴょこ出てくるアイキャッチをみて懐かしくなった。エンディングに出てくる大きな顔のお化けとか案山子のようなお化けの絵も見覚えがあり、40年くらい忘れていたのに記憶が残っていたことに驚いた。アニメ自体はアクションシーンにせよ脚本にせよ子供向けアニメとして今でも通用するくらい手堅くつくられていて、いいアニメだったんだなと思った。エンディング主題歌の「へへへ、へへへ、ヘッヘッヘ、いうこと聞かない悪い子は夜中迎えに来るんだよ」を歌ってあげると子供が神妙に聴き入り、いたずらが止まるのもありがたい。子ども自身も「朝はメドコでぐーぐーぐー、楽しいな、楽しいな」と歌っていて、口ずさみやすい歌の偉大さよ。第4期のED歌はいまいち、第5期以降はOPも聞くに堪えなかった。
 しかし、鬼太郎やお化けの本を見すぎたせいか、子供が極端な怖がりになって少しの時間も部屋に一人でいられなくなり、トイレにも行けなくなってしまったのは失敗だった。お化けはまだ早かった。子供は相変わらず見たがるが、しばらくセーブすることにする。
◆先日、久々に三浦半島に海水浴に行ってきた。妻がやる気を出したので2週連続になった。今回は割と砂が細かくて石が少なく、泳ぎやすかった。子供も最初は怖がって泣いていたが、一度岩場でカニや貝をとって遊んだ後は浅瀬で波に揺られて遊んでいた。なぜかロシア人の家族もいたので挨拶した。あと、灯台のところに行って貝殻を拾ったりした。早起きして8時くらいには及び始め、昼過ぎには帰宅の途に就くのだが、帰りの高速で眠くなってしまい少し怖かった。せっかく車もあるし、年に一度は海に行くのはいいな。
◆アマカノ+がエッチシーンに入ってしまった時の骨休めなどに先日からアマカノ2を始めているのだが、ボリューム感がすごくて圧迫される。ちとせが身体を斜めにしている立ち絵はとんでもない盛り上がりと厚みをみせていて、風景画の山塊の質量感を観照するようにしげしげと眺めてしまう。ちとせと玲が身体を向き合わせている立ち絵を見るたびに、中国内陸部の峡谷を流れる川を小舟で下りながら迫りくる岩塊の迫力に押されるような感覚を覚える。エロゲーのヒロインを眺めてムラムラしつつ、一方で風景画を鑑賞するような楽しみも味わうことができる。今期のアニメ『瑠璃の宝石』のヒロイン二人のたくましい身体を鉱物を算出する大地を象徴する大地母神に例えている人がいたが(瑠璃ちゃんの足のごつさは社会主義リアリズムのデイネカの絵の女性の足を彷彿とさせるものもあり、金槌を振るう美少女たちを描く『瑠璃の宝石』は21世紀のソ連アニメとして見ることも可能だったりするのだろうか)、アマカノ2のヒロインたちにもそのような大地母神的、あるいは社会主義的な肉体賛美をみることができる。パッケージ絵ではみんなの目が切れ長すぎてちょっと厳しいかなと思っていたけど、立ち絵はそんなことはなくてよかった。
 そのような驚きが一服すると、秋の柔らかい光が絶えず浸透しているようなこの作品のヒロインたちの優し気な表情をみながら、もうこのシリーズでは将来の結婚まで描かれるのがだいたい確定されているので、特に一枚絵をみていると「ああ、この女の子と結婚するのか。今はこんな高校生だけど」という未来から現在を回想するような感慨がしみじみと沸いてきて、何だか今の自分だどこにいるのか分からないような涅槃の空気に包まれる。けっこうとんでもない作品なんじゃないかなこれは。
 ちとせルートに入ったのだが、初めてのエッチシーンに至るまでの流れが素晴らしかった。はじめは添い寝だけ、次は下着で添い寝、次は風呂に入って裸を見せ合うだけ、次は手でしてもらうだけ、次は手でしてあげるだけ、というふうに何日もかけて数学的な規則正しさで次第に完全なエッチに近づいていき、主人公も従順にそれに従う。このじらしの厳粛さに思わず笑ってしまいそうになるのだが、しかしそこにはちとせの神聖な無垢さがあり、主人公も至極真面目にちとせを思いやっているので、こちらは笑うわけにはいかず、夏なので下半身を開放したまま、優しく長く引き伸ばされた前戯に酔いしれるしかない。この完全にユーザーを信じ切ったつくりがアマカノの真骨頂だ。初エッチの次の夜あたり、今度はちとせが恥ずかしそうに裸で添い寝してくれるのだが(裸で寝るのが好きらしい)、この裸なのに添い寝するだけで、しかもそれでお互い納得して幸せを感じているというのが素晴らしい。これはフィクションでしか描けない、エロゲーでしか成立しない美しいじらしだ。アマカノの世界は基本的に主人公とヒロインしかいなくて、人生を描いているはずなのに全てがエッチシーンかその前段階であるような狂気じみた世界なのだが、それでも人生の中でのこの時期をブラックホールに次第に近づいていくよう何かのように無限に引き伸ばすのは正しい。
 アマカノ+の方は少し進めたが、聖が実は依存キャラなのがやはりよい。
◆7~8月は立て続けにAbemaで「進撃の巨人」の2期から最後までと「ゴブリンスレイヤー」2期を一気に観て、中年のおっさんの時間の使い方としてあまりに情けないのだが、それでもどちらもけっこう楽しめた。進撃の巨人はもう観てから時間が経ってしまったのであまり感想を書く気がないのだが、ミカサが最後までエレンへの思いを貫くことができてよかった。エレンは結局終盤は燃え尽きたみたいになっていて、未来を見ることができるという設定のせいでややこしくなってしまった観があった。あとは火だるまになって燃え尽きたハンジが印象的だった。ピークが可愛かった。しかしこの閉塞感(壁と巨人)と開放感(立体起動装置のアクションや外の世界への夢)がごちゃまぜになった奇妙な暑苦しい物語が、世界中のオタクたちにある程度共有されたというのは不思議なことだな。ゴブリンスレイヤーの方は、2期を冷静に見てみると、まさしく純粋なセックス&バイオレンスであって、登場人物に固有名がなくて「ゴブリンスレイヤーさん」とか「耳長の」とかしか呼ばなくて、ゴブスレの顔とかいう不要情報が排除されて(他の男キャラもドワーフのおっさんと人外のリザードマンなので男情報は慎重に排除されている)、いつもかっこいい鎧と兜しか描かれないというストイックさがバランスをとっているようにみえた。各キャラは自分のステレオタイプをそれぞれ全うするだけであって特に機知に富んでいるわけでもなくけっこうダサいのだが、女の子たちにかっこ悪い固有名がつかないのは素晴らしく、女神官ちゃんや女大司教さんや牧場娘ちゃんを純粋にその視覚情報と声だけで記憶に刻むことができるのがよい。いかにこのゴブリンスレイヤーの世界が箱庭的なままごとであったとしても、このストイックさとみんなの声や姿から伝わるものに嘘はないと思える。