ハルカの国 明治決別編・星霜編

明治決別編
 最後まで楽しく読ませて頂いたけど、今回は五木がゴールデンカムイにいそうな感じのキャラであり(どっちが先に出たか分からないが)、ユキカゼの戦いや葛藤についてもアクションが多かったせいもあってか、那須きのこ作品でありそうな感じの描写や展開で、読んでいてうっすらした既視感がつきまとい続けた。むろん、だからといって面白くなかったわけではない。そしてやはりハルカとユキカゼの愉快な道中のかけあいを読めたのは感謝。ユキカゼのすぐに図に乗ってしょうもない方向に行くけど根は素直なのは、なんかどこかで見たことがあるような愛らしいキャラなんだけど、戦前の小説のような少し古い言葉を使うところが味わい深いんだよな。はじめは言いくるめているハルカも、ユキカゼが勢い任せに放り出した言葉に虚を突かれてなるほどと納得したり、反対に逆上したりして立場が入れ替わったりするのが、みていてほのぼのとする。五木もそんな二人をみて変わった、あるいはいろいろと思い出したようだった。東北の地理感は今でもよくわからないくて、盛岡から出て最上川を下ると酒田に出ることができるとか、紅花(紅殻町博物誌を思い出す)と古手(なんていう言葉もあまり気にしたことがなかった)の貿易とか秋田県の経済圏とか、興味深いお話だった。


星霜編
 年末年始に録画した『響け!ユーフォニアム』劇場版(というか総集編)をながら見して、昔のテレビ版を懐かしく思い出したりしていたのだが、このシリーズは卒業とか受験とかコンクールとか、そういう毎年の強制イベントを軸に物語が組み立てられていて、みんなそのイベントを経て強制的に成長させられちゃうなと改めて思った。
 それに比べてこの作品の化けたちにはそういうものが用意されていないので、一度背負ったものがいつ解消されるのか分からず、たぶん待っていてもいつまでたっても解消されないという重みの中で生きている。自分がいつ消えるのか、現在の自分がライフステージのどの位置にいるのか分からず、これまで自分にアイデンティティを与えてくれていた社会制度も崩壊して不確かなものになる中で、家族を営んだりせずに一匹狼や一匹狐や一匹狸として生き、やがて時代に追い越されていく。「やめなって。いいんだよ。全部はっきりさせなくていいの。ここはそういう所にしよ」というおトラの言葉の裏に彼女の寂しさを感じてしまう。彼女たちの寂しさがずっと感じられたから、ユキカゼとおトラとクリが四畳半の一室で寝起きし、荷物を処分して少し広くなったら川の字で手をつないで寝るというシーンがとてもよかった。また、ユキカゼは、「おトラの手を取りたかったわけでもない。ただ、クリと繋いでいるところ、おトラだけそうしないのは何だか嫌だったから、一応、聞いてみたのだ」などと述懐しておりユキカゼらしい。
 それにしても、改めてちょっと再読してみると、前半の「生活狐」パートでおトラの元気な姿をみるとたまらないものがある。台帳とちびた鉛筆を持つ立ち絵を見返すと、確かに鉛筆を左手で持ってたりして…。クリのうどんをかたくなに拒否するあたりからおかしいなとなって、2回目に尾道に行く前くらいから不穏な流れが鮮明になって息苦しくなっていくけど、それでも彼女はクリのトラブルを解決する手際も鮮やかで、旅立つまでずっとゆるぎないおトラだった。
 3人での生活が回っている限りは、生活狐であるユキカゼの抱える問題は浮上してこない。ユキカゼは去勢されたように腑抜けたことをこぼす時もあるけど、3人の生活を楽しんでいて、そこに『最果てのイマ』の場合と同じような空気をまとったグノシエンヌが流れたりする。
 個人的に酒を飲むのが楽しいと思ったことはほぼないのだが、金がかかるとか美味しくないとか飲んだ後が面倒くさいとかいろいろあるが、それは何よりもまず一緒に飲む相手がいないからなのだなあと改めて思う。この作品の登場人物は実に仲良く酒を飲む。ちょっと飲むか、という誘い方がいつもよい。やけ酒酔いつぶれるのも潔い。相手をいたわったり、一緒に喜びをかみしめたりするために、何気ない日常の中で飲むのがよい。後に、もう分からなかくなったおトラが酒を飲んで、一瞬だけ「おいしい」と元に戻るシーンに驚いた。何かの具体的な思い出ではなくても、よみがえってくる感覚があったのだろう。
 ユキカゼとゆっくり酒を飲みながら、何か未練はないかのかと聞かれて、おトラは、「ないね。なんだかんだと周りにも恵まれたし、あたしも上手いことやれる性分だったし。あたしは運が良い方だったよ。本当にそう思う。未練なんてないね。とても文句なんか言えない。明日、ぱっと消えちまっても文句ない。むしろ有り難いよ、そういう気持ちの良い方が。そう思わない?」と語るわけだが、その裏では自分の財産をこっそりユキカゼとクリに移していて、クリが独り立ちできるようあれこれ仕込んでいたりする。未練はないよという言葉は、同時に未練がないようにするよと自分に言い聞かせる言葉でもあったのだろうけど、彼女の口から聞けたのはよかった。
 寝落ちするおトラにこれからどうするのかと問われたユキカゼは、なぜ自分がまだ居残っているのか、いつまで自分は不確かな時を生きるという恐れを抱えていなければいけないのかと自問する。居残りとしての人生と居残りの終わりとしての死。「あの頃(何も知らずにハルカにくっついていた頃)のままだったら、寂しさもないかわりに、居残る意味もなかった気がする」というが、それはつまり孤独ではなくなったけれど居残るのは寂しいことだという感覚を抱えて生きていくということであり、どうにもままならない。おトラやクリと生きていく嬉しさは分かるけど、そのためには生きることの寂しさも感じなければならず、しかもおトラやクリとの暮らしの方はいつ終わるとも知れない脆さの上に成り立っていて、実際に崩れていく。条件の不利な戦いだが、誰も有利な条件の人なんていない。ハルカくらいか。まあ、ハルカについては次章でまた物語があるか。ハルカがユキカゼを独り立ちさせたように、ユキカゼとおトラはクリを独り立ちさせるわけだが、独り立ちさせたからといってユキカゼが抱える寂しさがなくなるわけではなく、何だか深まったようにも思える。
 言葉をこねくり回していたら素直な感想から外れてしまった気がする。本当はきちんと再読してよく消化したいし、自分の言葉でもっと感想を残しておきたいところだけど、今はそのエネルギーはない。あと、次章も読みたい。とにかく、正月からいい作品に出会えてよかった。点数はハルカの国が完結してからにしようと思っているが、この星霜編単独で過去最高の90点、ハルカの国全体では最高点の95点にしてもいいのかもしれない(どんな作品でも100点は原則的につけない)。おトラもクリも、出てきたときは安易なキャラかなという印象を持ったんだけどなあ。安易じゃなさ過ぎたな。家族になっていた。僕も読みながら一緒に酒を酌み交わし、煙管をくわえて思案し、一緒にうどんを食べ、カンパニを夢想し、尾道を歩き回り、川の字になって寝たような気になった。この時代、この時間の空気を吸ったような気になった。しかしなんであそこでおトラは目覚め、去ってしまったんだろうな。残酷すぎるように思える。でも、もし連れていけたとしてもやっぱり駄目だったのか。やがてくる別れがたまたまああいう形になっただけなのだろうか。あれはメタファーみたいなものか。だからあの場面についてはユキカゼは沈黙したのか。ユキカゼが自分の手とおトラの手に結んでいた帯は、彼女がいなくなったので刀の鞘に巻かれていた。ハルカは昔、ユキカゼにあまり呪いを背負い込むなと助言していたけど、仮初めとはいえ家族くらいは切り離さなくてもいいよねと思う。
 それにしても、ユキカゼは男装、おトラとクリは女装だし、それぞれの言動もそれらしいので、父と母と娘みたいな構図になりがちだが、ユキカゼとおトラの間に恋愛的な心の動きが全然ないのがいいな。ふつうはこうはいかない。繰り返しになるけど、雷の夜に川の字になって手をつないで寝るシーンが素晴らしい。文章のリズムとか演出の間とかも含めて素晴らしいので、最後に写経しておこう。回想シーンとかない不便なシステムなので読み返すの大変だし。

ユ:あのな、その、クリが教えてくれたのだけど
ト:ふん?
ユ:どうやら手を繋ぐと、雷避けにいいらしいよ。明日の天気も良くなるらしいから、お前の出発にも晴れた方がいいからって
ト:手?
おトラが覗き込む。
ト:あら、やだ。あんたたち、お手てつないで寝てたの。ドジョウすくいみたいのが
あははは、と声をたてて笑うおトラ。
ク:ふに
寝言をもらすクリ。
ト:あーおかし。わらわかしなさんなって。声たてちゃったじゃない。はぁ、可愛いね、あんた達。それで?え?あたしもあんたと手を繋ぐってのかい
ユ:もし良かったらな
ぱし、と手を叩かれる。
ト:やだよ。あんたと手つないで寝るのなんて変だよ。
ユ:そうか?うん、そうだな。変だな
ト:変さ。あたしとあんたがさ。おかしいよ
あはは、と笑っておトラが転がる。差し伸べた手は所在なく、おトラとの間に落としていた。
おトラの手を取りたかったわけでもない。ただ、クリと繋いでいるところ、おトラとだけそうしないのは何だか嫌だったから、一応、聞いてみたのだ。向こうが「いらない」と言えば、それで良かった。
ああおかし、とおトラは何度か繰り返す。静まったと思ったらまた肩を振るわせていたので、よほど私とクリの様子はおかしなことになっているらしかった。
不意に。私の手に触れるものがある。
おトラだ。おトラが、私の手を握ってきた。
ト:けど、あんた等があたしのために祈祷してくれてんのに、あたしが参加しない法もないね
ユ:…………
ト:あんたは両手で、手が暑いだろうけどさ
ユ:いや、大丈夫だよ。温くていいぐらいだ
ト:そうだね。雨が降って、また寒くなった。冬だ
おトラが長い息を吐く。
ト:おかしいね。あんたとあたしがさ、手つないで。狸の御姫様も混じって川の字になって。しぶとく生きてりゃ、面白いことがあるんだね
ユ:そうか?
ト:うん、面白い。ほんとに面白いよ