サクラノ刻 (80)

 実況的なだらだらした感想だけになってしまったが、忘れないうちに何か残しておかないと。前作の感想はこちら

泥棒カササギ
 麗華を見つめる静流の物語ということで、報われない思いにうまく落としどころをつけるために芸術作品が嫌味なく使われていて、清々しさでいえば前作の真琴の物語にも通じるのかもしれない。こっちではちゃんと花瓶のイラストを出したのはよかったな。麗華の視点からだと全然清々しくないはずなのだが、最後に彼女も静流の作品でありながら本物だと矛盾したことを叫んでいたので、芸術という現実を超越させてくれるものに魅入られている姿が印象に残ってしまうのだった。彼女たちの物語は後でフォローされるのだろうか。
 一見すると偽物である者の方が本物よりも優れている、というかそういうものしかないくらいだ、というテーマはまだこの後も何度も出てくるのだろうか。
 それにしても藍の声は相変わらず癒されるな。

展覧会の絵
 あいかわらず賞とか天才とかうっとうしいが、生徒たちを通して自分の新しい生き方にゆっくりと思い至るというしんみりとしたいい話だった。芸術家と教師が対立項になっている。でも直哉が自分の美術に対して現在何を考えているかについては一切触れられず、あくまで他人の作品を眺めているだけだ。絵を描いたりしていることは次の章で明らかにされるのだけど。
 それにしても圭の持ち上げぶりが著しい。そんなにすごい天才だったかなと思う。この作品においては天才は周りからの評価で決まるようにみえることが多く、作品自体を作品の中で十分に示すことは難しいから、圭の真っ白なキャンバスのように、マレーヴィチ的な無の周囲にひたすら言葉やキャラクターが積み重ねられ続けているような観がある。
といっても作中作ではなく作品自体の美術は繊細な感じがして、観ていて飽きないところが多い。古典的な美術を題材とする作品をエロゲーというデジタル美術でつくることについて制作者はどう考えているのだろうか。

禿山の一夜
 海辺で心鈴と一緒に海と空を眺めるシーンがよい。ゆっくりとした心鈴の語りを聞いていると、そしてそれを眺める直哉をみていると、最果てのイマの文章の速度を思い出す。空の色をみて感嘆を漏らす心鈴は若き日のベールイのようだ。
 心鈴の目の話。確かに穴のような怖いけれど人形のようにきれいな目をしていて、こだわりを感じるデザインになっていて面白い。それにしても心鈴って何て読むんだろ。
 ルリヲと寧に少し指導。絵画技法のことはよく分からないが、前章を受けて本格的な話もあったりして面白い。賞の話とかよりはこういう話をずっとやってほしい。そのあとで普通の女の子たち3人で和む。
 心鈴の読み方って伏線だったのか…。
 ノノ未に情熱的に褒められて泣いてしまう長山香奈、いいものだ。
 真琴登場。曇りのなかったようにみえた真琴が学生時代を失われた奇跡のように思い出していてしみじみしてしまった。刻ってこういう話が主題になるのだろうか。しんみり。
 寧の話の中に出てくる心鈴の水辺のカキツバタが実際に画面に現れる。油絵の技術的なことなどは分からないけど、ビビッドな色遣いで、ごまかしのない絵を画面に出したことで緊張が高まった気がする。楽しみになってきた。
 放哉の話。芸術家の早世という神話。美のせいで死んだという神話。それにしても放哉役の声優さんの熱演がよかった。BGMも合っていた。訳語もよかった。ディカニカ近郷夜話の話にここまでのディティールってあったっけ。大昔に読んだだけだからなあ。でもゴーゴリなら書きそうなディティールだし、ムソルグスキーが膨らませたのかもしれないし。放哉の話の続き、美が人を殺す化け物だという話、大仰だけどキャラが増えたからか面白くなってきた気がする。
 寧と心鈴の勝負。寧の絵のCGがいまいちでかわいそう。それともじっくりみてみれば僕にもその特殊な色彩を楽しめるのだろうか。心鈴の絵は確かに題材的にも説得的だけど、いわれているように西欧的というか、理性的な部分が先走っていてあまり楽しい絵ではないなという感じだった。そこに寧のドラマを重ねて鑑賞すると味わい深いわけで、文脈への依存が大きくて疲れる感じがある。その絵を前に講釈を垂れるという構図が、制度としての美術のありようを取り入れてしまったこの作品のスタイルでもあるのだろうか。あと、カキツバタの絵もそうだけど、写真を加工したようなタッチなのは何か意味があるのだろうか。
 寧の倉の窓からの空は確かによかった。対比のために対決の時の絵は軽くしたのだろうか。ううむ。それを見て驚く寧のCGもよかった。
 そして真琴のラブコメ的なかけあいはいい味出している。
 でもまたしんみりする。迷う大人である真琴。あんな話の後でのエッチシーンの戯れは物悲しい。でも最後に晴れ晴れとして、直哉との距離を確認することを楽しんでいて、青春時代の後始末。bgmもあって、希美香の屋上のシーンを思い出すような、星空の下で解放された真琴。

きぼう
 真琴の2回目の美術室のシーンはコミカルでよかった。1回目は悲劇だけど云々みたいなやつか。真琴はやりたいことをやっているという感じが自然に出てていい。というか真琴ルートか。またもはじめは真琴ルートなのだろうか。ともあれ、この真琴を見ていると、詩の方をもう一度プレイしてみたくなる気持ちが出てくるな。
 打ち上げ。心鈴の言葉で花瓶を、そして静流と麗華を救済する。それが心鈴の役割。
 麗華訪問。やっぱり愛すべき人間だ。早口言葉「せっけいかささぎずかびん」を何度も連呼し、決して省略したりしない。直哉の突込みもいいので、彼女の魅力は相手によっては発揮されないこともあるのだろう。心鈴の話でまた株が上がる。夢があった人間、努力した人間、過去があって現在があるという感覚。真琴の場合と同じだ。
 昔の夢を語る麗華。麗華もである。昔夢を抱き、そしていま生きている人たちの生きざまを描く作品だなあ。
 真琴とエッチしているうちに真琴エンドになってしまった。でも真琴ルートという感じではない。実験的な構成なのかもしれない。人生は予想しなかった方向に転がっていくものだからな。いつでも周縁にいた真琴が幸せを手に入れるのをみて、真琴の嬉しさが伝わってくる。でも直哉の物語は終わった感じがしないし、その後の話があったりするのだろうか。なければ妄想するだけだが。
エンディングムービーのシルエット風の絵巻物もよかったな。

詩人は語る
 心鈴ルートに入るとなんだか心鈴が普通に直哉に好意を抱いて結ばれてエッチして、というふうに「普通」のエロゲーになってしまった感じがする。それまでの芸術談義や天才芸術家としての生き方、ハイカルチャーの人々を描く作品がエロゲーの重力にからめとられていくようで違和感がつきまとう。それでも絵がきれいで声が可愛いこともあって結局は楽しんでしまい、やはり自分はエロゲーが好きなので何の不満があろうかということになった。すかぢ氏のツイッターアカウントをフォローしていると、考えていることをうかがえる情報が入ってきてしまい、キャラクターとの恋愛に没入するにあたっては大きなノイズになるのは失敗だったが、それでも展望台やエッチシーンの心鈴の絵の一本筋が通ったような美しさにハッとしたおかげでどうにか没入することができた。絵師さんのアカウントをフォローしていなくてよかった。
 エッチシーンのはさみ方は真琴ルートと同じか。それはともかく、心鈴シナリオでファインアートとエロゲー美術、天才と凡人オタクのテーマを入れてきたのは意表を突かれた。気楽なコメディ風だったので力を抜いて楽しめたが、目新しさはあまり感じなかったかな。
 心鈴のふたなりエッチシーンは素晴らしかった。ヒロインとのコミュニケーションとしても、知的好奇心の刺激でも、絵の完成度の高さでも、ぴくぴく動く立ち絵の遊びでも、くどさはなくても全力を出してきている感じがして素晴らしかった。エロゲーの進歩を感じたし、20年後にもこのシーンを楽しんでみたいものだ(僕はもう高齢者になっているが)。ヒロインの声しか聞こえないのがエロゲーのよいところなのだが、心鈴の優しい声による優しいおしゃべりを優しいBGMに乗せてずっと聞いていたくなるシーンだった。ここがこの作品のクライマックスでもいいんじゃないの?
 このまま穏やかに終わりか。まだ他に重たい展開のルートもあるんだろうな…
 心鈴のもう一つのルートを探しているうちに、寧との勝負の場面をもう一度読んだ。今度は心鈴の作品「イワン・クパーラの夜」をもう少し素直に、寧を表現している絵としてみることができたような気がする。赤い血のようにみえる青とか、青が大半を占めているとか、文章と表示されている絵はやはりかみ合っていないようにみえて、表示されている絵は実物なのか、それとも象徴的なイメージ画なのか、相変わらず判然としないのだが、それでもあの瞬間の寧を表している作品としてはいいかもしれないと思った。砕かれたガラス片としての寧、苦しみあがいていると同時に冷たく暗く光っているような、孤独な錬金術師の工房の儀式のようにも、その祈りのようにもみえる絵であり、美しさがある。寧の作品「限界の空」もいいように思われたが、構図的にどうもあれは一部のトリミングであるような気がする。全体を表示していないのはなぜか。もう少し青い色の動きを見てみたい気がした。

モンパナシュ
 いまさら圭の子供時代の話をやるのか。しかも一人称でじっくりと(声の感じから卓司様のモノローグのようで最初は少し笑った)。まあこれまでの流れから避けては通れないのだろうけど。
 正直、『詩』では主人公の友人キャラ程度の認識だったし、圭の絵画についてもあまり技術的なことも含めた具体的な描写はなかった気がするので、この『刻』での持ち上げられ方に違和感があった。今読み返せば違うのかもしれないが。
 直哉の『火水』も何度かこれまで言及されていたのが実際に絵として登場したのは感心した。こういうところも手を抜かずに頑張っているのはうれしい。でも、文章の説明で「コクピットまで精密に描き込まれている」とあったのはCGからは判別できないから、やはりこの絵も正確なものではなくてイメージ画なのだろうか。どちらでもいいくらいにしっかり作られた絵のようにみえたが。
 麗華がやっぱり麗華で嬉しかった。
 健一郎の脳科学と芸術の話が長すぎて疲れた。特に目新しいことでもなかったし。でも『櫻日狂想』も実際の絵が表示されたのはよかったな。逆に圭の「血で描かれたような絵」という表現は具体性がないまま繰り返されすぎて擦り切れ、僕の美術の素養が貧弱なこともあり、ぼんやりしたことしかイメージできない。技法的な意味ではないのだろうけど、ロマン主義的な写実主義のイメージだ。それともムンクの叫びのようなもっと露骨なやつだろうか。向日葵の断片イメージはゴッホの絵みたいだった。
 圭と心鈴の出会いの話はひたすらさわやかだったな。エッチシーンもなく、中断されることなくさわやかな話を楽しんだ。話だけでなく、絵も爽やかだった。最後の覗き込む心鈴も爽やかできれいだった。

どこからきて…
 ここから里奈と優美にいくのか…。
 絵というか、彫刻の写真のようなものが出てきた。イメージ図なのかな。エロゲー作品中の絵としては、見た瞬間に勃起してしまうような性的な絵は、三次元に飛び出してしまうのか。まあ性的とされるクリムトの絵も立体物めいた素材感があるからなあ。
 優美に襲われて悪態をつかれ、ちんこから少し出血するというのは、ユーザーの微妙な願望をうまくとらえているようで感心した。射精はしたくないけどくわえられて悪態をつかれ、その後でしんみりしてみたいというか。前作でもそうだったけど味のあるキャラだ。
 ムーア財団のパーティのシーン、「世界的な芸術家」の美少女が次から次に「ちょっと待ったあ」という感じで感動の再会もなく名乗りを上げてきて、しかも言っていることは至極真面目で10年越しの燃える展開なのだから、シュールすぎて笑いがこみあげてきてしまった。エロゲーっていいね。とはいえ、これはバフチンのいうドストエフスキーのカーニバル的時空間の手法をわりとそのまま使ったようなシーンなのであり、考えてみれば芸術界をさまよう「亡霊」云々の言及とかからも、この作品はけっこう『悪霊』のフォーマットを使っているようにも思えてきた。なかなか動かない直哉はスタヴローギンで、死んでしまった圭はシャートゥシカで、健一郎はステパン先生(?)で、といった具合に。ヒロインは対応しないだろうから、エロゲーとしての重要な部分はドストエフスキーとは関係なさそうだけど。
 大会が開始。肝心の絵は出てこないけれど読んでいて楽しい。坂本がいちいち実況キャラになって出てくるのも楽しい。香奈の心意気も、秘め隠された気持ちもよい。気絶する放哉先生も味わい深い。久々に出てきた里奈は正直なところどんなキャラだったか覚えていないし、そういえば直哉の右手の話なんてのもあったっけ、覚えていないけど、という感じなのだが、なんとなく雰囲気で楽しんでいる。前作を再プレイしてから始めた方がよかったかな。でも、試合前の一瞬だけの里奈との会話、一瞬だけだからこそ印象的だ(CGも気合入っていて素晴らしい)。そういうのを全て後方から見ていないといけない藍も大変そうだが。
 里奈と香奈の試合はすっきりしないな。前作のブルバギのパフォーマンスのエピソードもそうだった。大衆の熱狂っていうが、そこまで熱狂するものなのか、審査の時間の間にも冷却が終わっちゃうほどのものような気もする。絵というよりは香奈の個人的な思い入れに負いすぎている作品であり、絵(赤い円)よりは彼女そのものを支持することでしか評価できないように思える。健一郎や直哉の逸話として何度か出てきたが、大きな円が描けたからってそんなにすごいのかな。単なる技術的な問題ような気がするが。なんか里奈も見せ場がなくてかわいそうだったな。彼女の絵はCGで登場したけど、正直なところ、ファイナルファンタジーのイメージ画か何かみたいな印象で、これが世界の画壇で認められる画家か、うーんという感じはあった。もう少し細部を拡大して鑑賞してみたかったかな。しかし、里奈と優美のエピローグ的なエッチシーンを見ると、やはり里奈が試合で描いた絵も優美と自分のことを題材にしたものだったのかな。優美ののんきなところに救われる。30手前であのリボンをつけているところにも。
 香奈と直哉の試合。なんか美術というより武道の試合のような体育会系の展開になってしまったのだが(画家の自伝とか読んだことがないので描くことの身体性についてはあまり関心がなかったということもある。この点については、少なくとも20年以上積読になったままのベヌアやオストロウモワ=レベジェワの回想録やヴルーベリの評伝を読んでみないと自分には何も言う資格はないかもしれない)、香奈が幸せそうでこちらも幸せになった。どんな絵を描いたのか見てみたい気もするが、それよりも幸せな香奈を見ていたい気もある。寧と同じで、一度こういう体験をしたのなら、リハビリが終わって復帰すれば、これからはパフォーマンス画家ではなく自分が本当に描きたい絵を描く画家としても花開いていくのではと楽しみになる。そしてエピローグ的な病院での香奈が楽しい。楽しいけど真剣なのもいい。直哉や心鈴といった天才キャラたちは、その天才設定ゆえに「本気」を出せばいつでも名作を生み出すことができる安心感があるが、この試合で香奈に起きた奇跡はまさに奇跡であって、積み重ねの上に起きたことではあっても、奇跡を起こせないはずの凡人が奇跡を起こすという、作者特権による物理的な掟破りが発生している。このように論理を捻じ曲げた箇所はこの作品ではここだけだった気はするが(茶番じみた印象を避けられなかった次の試合を除けば)、ここでの香奈はそれに見合う魅力的な芸術家だったと思う。
 ここがピークだったのかもしれない。稟との試合は稟の見せ場がなくて、絵もまともに表示されなくて、試合としては盛り上がらなかった(ルールもこれまでとは違ってライブペインティングではなくなった)。弓張の土を使った直哉の絵の話に終始。もう少し稟や雫と話をしてほしかった(後で特典小説を読んでみるが)。展開も大味で、みんなが直哉の絵を待っているからがんばれがんばれみたいな流れになって、読み物としての面白さはあまりなく、メッセージ性がむき出しのテクストが続いた(勢い任せの不自然な文が多く、てにをはとかもけっこうおかしかった気がする)。ここにきて直哉の音声が出てきて、しばらく聞いていたけど、途中で耐えられなくなって切った。直哉の絵が完成するとなんかムービーが流れた。正直なところ、ごちゃごちゃしていて目が滑った。こうするしかないのかもしれないけど、ここまでのやや上滑りした流れの後で出てきても、少し引いた見方になってしまう。ただし、このチャプターでは、圭の最初のヒマワリの絵が離れの建物に飾られているという話と、麗華の味わい深さはよかった。
 明石についても一言。直哉のドキュメンタリーを長期間にわたり密かに撮り続けており、AV監督で糊口をしのぎつつも一度だけハイカルチャー作品を出して興行的に失敗、その後はAVに復帰して大儲け。これは無粋ながら何だかすかぢ氏の代行者が作中に登場しているようにもみえてしまった。そう考えれば、明石の荒唐無稽な立ち居振る舞いと、シナリオが異質にデフォルメされたドタバタ展開になってしまったことも許せるかもしれない。明石(とトーマス)の登場は物語的には全然必然性はなく、削ってしまった方がむしろよさそうなくらいなのだが、だからこそまあ好きにしてくれというか。
 ストーリー上の盛り上がりにいまいちついて行ききれない形になってしまったが、これは僕が創作者側の視点に立ちにくいことが関係しているようにも思える。僕は単なる素人の鑑賞者なので、絵を見る視線は描くことの身体性をとらえきれずに、絵画の表面をあっさり滑っていってしまう。作品を生み出すに際して、構図を考えたり絵の具を混ぜ合わせたり、一筆ずつ塗り込んでいったりして、膨大に時間と労力がかかっていることに思い至らず、ぱっと見の印象だけで観た気になってしまう。絵画に限らず、創作にかかった時間と鑑賞にかかる時間は同じになることは普通はないのだけれど、創作の経験が乏しいので、その非対称性に鈍感過ぎになってしまう。これは僕の根本的な薄っぺらさの問題でもある。
 エピローグ終わり。きれいに終わったな。EDムービーも雰囲気がとてもよかった。無様な社会人としては居心地の悪い話もあったけど、借金してても健康でいることの方が大事という藍の言葉に癒される。

凍てつく7月の空
 確かに本編に含めるべき内容ではないし、稟が何を考えていたのかを想像させる話だったし、悪夢のような神隠しというオカルト要素と人生を生き直すという創造と禁忌のテーマを扱ったそれなりに面白い話ではあったのだが、僕が読みたかった稟の話がこれかといわれると困る。本編では稟の描写は皆無で、エピローグでリタイアして落ち着いていた姿しかなかったので、稟の物語は『詩』で出きっていたということになってしまう。『詩』の稟ルートを覚えていないのだが。吹とか完全に忘れているし。予告された次回作では今度こそ稟の物語(とその作品)が描かれるのだろうか。これまでの流れからするとその確率は低そうだ。
 あと、細かいことだが、文章が荒れていてかなり読みにくかった。指示代名詞がいい加減だったり、文と文のつながりがおかしかったり雑な飛躍があったりして、意味がとりにくい箇所が多かった気がする。本編にも多少その傾向はあった。これはライターの感性の問題でもあるので正解はないのかもしれないが、制作期間が長かった作品なのだから個人的にはもう少し丁寧で神経の通った文章を書いてほしかった。繰り返しになるが、「天才」とか「芸術家」という言葉を安易に多用するあたりからして文章の信頼性が少し下がってしまうところがあった。

稟と雫と口と口
 小説でも本編でも語られなかった、直哉との試合に出品した作品を制作するまでのエピソードで、その意味では本編であまりにちょい役だった稟と雫を補完する興味深い内容だったのだが、稟の天才性のテーマについては、ファンタジー的な小道具によって自分の身体を犠牲にしながらほぼ自動的に作品を生み出していたという、雑にいえば最悪の設定を開示されてしまった。しかも、「墓碑銘の…」を生み出してからろくに進化していないどころか、それに劣る作品ばかりで足踏みしていたという(進化していたとフォローされていたようだが、具体的な描写は何もなかった)。最後まで不遇な扱いだった。『詩』の個別エンドが一番救われていたのかな。

A first-class crook
 小粋なエイプリルフール作品だった。

 

 最後にあらためてまとめておくと、美術をめぐる様々な人生が交錯する物語としての本作は読みごたえもあって十分に面白かった。前作からすると期待以上だったといってもいい。作中に実際の絵画作品のCGが多数出てきたのもよかった。描いたすかぢ氏は大変だっただろうが、これは作品の質を維持する上でどうしても外せないことだったと思う。
 その上で、美術というよりは美術制度に物語の比重が置かれすぎているようにも感じた。確かに画家は賞を取らないと画家として生きていけないのが現代なのかもしれないし、画家にとってはイベントといえば展覧会なのかもしれないのだが、ちょっと窮屈な感じがする。絵を描くのが楽しくて仕方ない、楽しいから描いているんだよ、というタイプの画家が登場せず(健一郎がそうなのかもしれないが最強設定のイケメンキャラなので面白みがない)、仮に登場したとしても子供の遊びとして放哉に一蹴されてしまいそうな雰囲気であり、画家は描きたいからではなく描かざるを得ないから描く、苦しいけど描く、異能バトルにおける相手や観客を圧倒するための技として描くみたいな方向性だったのは少し残念だった。実際にはみんな楽しんで描いていたのだろうけど、その楽しさはあまり伝わってこなかった気がする。ただし、その楽しさは文章では表現されていなかっただけで、作中の作品CGやヒロインたちのイベントCGなどをみればやはりエネルギーをもらえるところはあるので、その意味で美術の楽しさが伝わる作品になっている。危ういバランスだと思うが。
 エロゲーとしては、ヒロインとの物語としてはどうだろうか。すべて読み終えてから振り返ってみると、美術の物語としてほどの異色さはなかったと思う。大変失礼な言い方だが、みんな普通に魅力的なヒロインだった。でもヒロインとの物語はあくまで美術の物語の枠内でのエピソードであり、恋愛を通じて新たな地平に連れていかれるようなことはなかった。特に藍については、CVが澤田なつさんであるだけに、ヒロインとしての掘り下げがあまりなかったのはもったいなかった。ここのメーカーでは基4氏の絵が一番好きなので、寧ももっと見たかった。特典付きは寧のタペストリが付いているのにしようか最後まで迷ったが、構図が下品だったので泣く泣く諦めた(高島ざくろさんの抱き枕カバーは素晴らしかった)。あと、繰り返しになるが、中村麗華はよかった。あの性格でまじめで地味なアルヒヴィスト(資料収集家)であるというものよい。本筋のエピローグでは藍と結ばれていたが、心鈴と結ばれて麗華が自分に似た孫(!)と遊んでいるのを心鈴と一緒に見ていたい(そして心鈴にその絵を描いてもらいたい)。