うたわれるもの 2&3

 ロストフラグの育成がなかなか進まなくてもどかしいので、その間にと思って『偽りの仮面』と『二人の白皇』の無料公開版を読み始めたら面白くて、週末やお盆休みを使って一気に読んでしまった。
 両方ともアニメは以前にみていたのだが、特に『偽りの仮面』の方は内容をだいぶ忘れていたし、アニメ化されていないディティールも多かったようなので楽しめた。『二人の白皇』は1年前にアニメをみたばかりだし、ロストフラグを始めるきっかけにもなったのでストーリーはだいたい覚えていたし、特に終盤の展開は演出も含めてアニメは原作をかなり忠実に再現していたことを確認することになった。アニメの終わり方はクオンが夢の中で一瞬だけハクに会えたところが印象に残りすぎて、初代うたわれのような切ない物語だと思い込んでしまって、そこがよかったのだが、落ち着いて原作を読んでみると本当にハクはあの世界にいて、消滅してしまったわけではなかった。ハクオロがそうであったようにいつの日にか娑婆に出てこられるような状態であることがわかり(そしてハクオロの物語もハッピーエンドになってしまった)、ヒロインたちの明るい表情も了解できることになっていた。そのことは拍子抜けなのかもしれないが、まだよくわからない。
 ゲームを読んでみて設定面で面白かったのは、うたわれ世界が遠い未来のことだというのは初代をプレイして分かっていたが、どうやら地図も変形するくらいに遠い未来のことであり、トゥスクルは日本(首都は長野県あたりかな)、ヤマトはロシア極東であることがわかったことだった。ヤマトの帝都はマガダンあたりであり、エンナカムイはヤクーツク、クジュウリはハバロフスク、ナコクはパラナかハイリュゾヴォ、シャッホロはオクチャブリスキーかオゼルノフスキーのあたりか。マガダンを舞台にした日本の作品なんて他にないんじゃなかろうか。帝政時代以来、山師や囚人たちが金の採掘に従事し、今も地下資源は豊富といわれながらも鉄道のない陸の孤島になっているマガダンが、大国の堂々たる帝都になっているというのは面白い。ハバロフスク広島弁の田舎になっているのも素晴らしく、ルルティエの広島弁も聞いてみたかった。もちろん、既にロシアが滅びてからはるか先の未来の話であり、日本がロシア極東に拡大したという設定なので、ロシアは影も形もないのだが、うたわれ世界ではアイヌ文化がベースなので何の文句もない。
 といっても、アイヌ文化のことはろくに知らないのでエキゾチックな固有名詞を楽しんでいた程度であって、うたわれ世界の実際の楽しさの核は、僕にとってはギリシャ神話世界や時代小説世界のようなファンタジーの楽しさにあったと思う。天下泰平の静止した楽園の中の英雄たちの日常と、それを崩壊させる悲劇の叙事詩的な物語のうねり。オシュトルの隠密チームとして日常は、ハクだけでなく白楼閣に集まった面々にとっての幸せなモラトリアムの期間であり、だからこそみんな「あの頃」に戻りたいと願い続けた。そんな「あの頃」の象徴がハクだったのだろう。そして、オシュトルになったハクは帝都奪還に向けた悲劇の物語に突き進んでいく中でも、どうにか白楼閣の「あの頃」の空気を再現しようとしたからこそ、みんながついてきてくれたのだろう。エピローグで彼女たちが統治者としての責務を半ば放棄してハクを探すお忍びの旅に出るのも、そんなモラトリアムの時間を懐かしがってのことだろう。モラトリアムはそこから抜け出したら全く終わってしまうものではなく、人生の折々で立ち返ることが可能なものでもある。反対にモラトリアムの象徴であるかのようなハクも、人知れず弓や剣術、戦術について研鑽していたわけで、自分はオシュトルだ、オシュトルならこうするはずだと自分に言い聞かせて困難に立ち向かい、行きあたりばったり過ぎて余人には真似のできない軌道を描きながら大きく成長していく姿をみるのも楽しかった。あと、コミカルなシーンでもオシュトルの口調でリアクションするのが好きだった。
 主人公はハクなのだが、クオンの目からみたセカイ系的な悲劇の物語という構図にもなっているのだろう。ハクはクオンにとっての自らのモラトリアムをも象徴する存在であると同時に戦闘美少女であり、戦いに巻き込まれないよう自分が守りたかったが、結局は失ってしまった。それにしても、ロストフラグのハクの連撃参の「追加労働手当…」のセリフが、オシュトルに扮したハクにクオンが気づくきっかけになった言葉だったのは感慨深かった。
 今回2作を読んだのはロストフラグに登場するキャラクターの背景を知っておきたかったからというのが大きいが、結局、アニメ版と比べてそれほど知識が増えたわけではないので、その意味ではあまり役に立たたなかった。ユーミュ、ウンケイ、クジャク、クリュー、アースラ、ディコトマ、イヌイなど多数のキャラがよくわからないままで、モノクロームメビウスをプレイする予定もないのでこのままかな。とはいえ、この2作に出てきたキャラたちの性格はよく分かったので、ロストフラグはこれまでより楽しめるかもしれない(エルルゥをはじめとする知っているキャラクターたちにしても、まれ人として突如出現することを個人的にいまいち消化しきれていないが)。
 しかし、いまさらながらだが、2作によって一つのファンタジー世界としての物語がきれいに閉じた後で、ロストフラグは何を語るのだろうか。3部作の叙事詩的な感動を再びつくりだすのは難しく、外伝的な位置づけに終始しそうだし、キャラが多いのは賑やかでよいけれどごちゃごちゃしすぎてアクタとミナギの物語への焦点がぼやけてしまいそうな気もする。ソシャゲーなのでこのまま長く続けばまた違った感慨も生じるようになるのかもしれないが。上に挙げたギリシャ神話や時代小説と違って、うたわれ世界は科学者の箱庭世界であり、SFであり、数学や言語学が未発達の文明においてけもみみキャラが暮らすのを愛でるオタク文化作品なので、何か自分なりの付き合い方を見つけていくことになるのだろうな。