ヒラヒラヒヒル (80)

 先にトゥルーエンドをみてからバッドエンドを回収する形になってしまったので後味があまりよくないのだが、まあ気を取り直して。Steamのパスワードを忘れてしまってめんどくさくなったこともあり、ブラックシープタウンはプレイしていないので、瀬戸口作品はMusicus以来となる。大正時代が舞台で小説家の家に住み込む書生とかバンカラな気風とか柔道とかが出てきたこともあり、井上靖の自伝小説のような昔の小説のひんやりした青春の肌触りを思い出した。鎮柳先生と明子さんとお辰さんと武雄の食事風景の軽妙なやり取りには、『吾輩は猫である』のユーモアを思い出したが、瀬戸口作品では前からこういう描写もよかったことも思い出した。絵も素晴らしい。瀬戸口作品はこれまでデフォルメがきつめのアニメ的な絵がつくことが多かったけど、この作品をやるとこういう写実的な絵でこそ本領が発揮されるんじゃないかと思った。今のエロゲーやアニメでは目に宇宙でも入っているんじゃないかというほど複雑に描き込まれた絵が多いけど、こういうシンプルだけど力強いまなざしの絵でも物語は十分に引き締まる。力強すぎて、別に加鳥先生とか田村さんとかとそこまで見つめ合いたいわけじゃないんだよと困惑してしまうくらいだ。発症の際の光に包まれる演出もうまかったし、その後の描写はゴーゴリの『狂人日記』を思い出した(ゴーゴリまでさかのぼらなくても他にたくさんあるだろうけど)。声優さんもみんな美声で、別に変な語尾とか萌え台詞とか言わなくても演技を十分に堪能できる。みんなよかったけど、あえてエロゲーマーとして挙げるなら朝さんの可愛らしい声と仮面の異相のギャップが素晴らしかった。バッドエンドを見てしまったあとでは、トゥルールートで正光と実質同居しながら日々の幸せをかみしめていたであろうことが救いだ。トゥルーの明子のエンディングも明るくて素晴らしかった。しかしあれだけ様々な悲劇がそこら中に転がっていることを見せつけらえれた後であのような平穏と幸せはありうるのかと思ってしまうところもあるが。2人の主人公の語りが交互するという構成は、語りの内容もあり、『アンナ・カレーニナ』を思わせた。ありがたいことに、この作品ではどちらもリョーヴィン・キチイのペアのようなものだった。正光のやや異常な純粋さについては、『白痴』のムイシキン公爵を思い出した。小説中にはあまり描かれていなかったけど、ムイシキンも最終的には発症してしまったし、精神疾患者であることを強調すればひょっとしたらこういう物語になっていたのかもしれない。
 テーマについて触れることも避けるわけにはいかない。大正時代を舞台にしていて、重厚な古典小説のような装飾要素も充実しているけれど、いうまでもなく「ひひる」とそれを取り巻く社会問題や自己の問題というのは、現代に通じるテーマ、すなわち老々介護、認知症、ひきこもり、鬱病家庭内暴力、さらには子育てにまで通じるものだ。現代の人間なら自分か自分の近しい身内がこれらの問題のどれか一つを抱えているなんて当たり前のことだろうし、僕も身の回りの「ひひる」のことを考えずにはいられなかった。いつ治るのか分からない、基本的には治らず緩やかに悪化していくだけ、一生のつきあいとなる、経済的余裕がなければ厳しい、声を荒げず、プレッシャーを与えず、忍耐を持って接していかなければならない。幸せは苦しみの連続の中のつかの間の光という形でしかやってこないのだとしたら、生きるってのは大変だなと改めて思う。この架空の大正時代は、社会制度の発展とかは遅れているけれど、なんだかんだいって人間には活力があり、社会もある程度はひひるを受け入れている。老いた今の日本でこんなふうに清冽で美しく生きることは簡単ではないではないだろうし、そこにこの作品のメッセージはあるのかもしれない。などとタイトル画面に映る小さな主人公たちをみながら思う。