石川博品『後宮楽園球場』

 後楽園球場に「宮」(睾丸の除去、あるいは貴人の住処)を加えた小説……。
 ハーレムと野球という、それ自体はただの無駄でしかない悪しき存在と、処女たちの眩しさとスポーツの興奮という、それ自体に罪はない正しき存在のコントラスト、みたいな構成になりそうなところだけど、筆致がいちいち明るい官能に満ちすぎていてその奔流に押し流されてしまう見事な作品だった。女性の体を果物と並べるのはありふれた組み合わせのはずなのに、どこまでも爽やかな絵になっている。「バフチサライの泉」では控えめで、ヴァルーシアでは病んでしまっていた、豊かな南方幻想が広がっている。

 蒔羅の愛する中庭は、女君たちの住むところに面したものとちがって狭苦しい。日当たりが悪いせいで芝生の色も冴えない。
 だがこの時間には地面も周囲の回廊も殿舎の軒も碧に染められ、そこにいる彼女の心も空に溶け出してしまいそうになる。表裏などない唯一の永遠に包み込まれていると感じる。

 光と色が感覚に作用して精神を官能で包むことが、ごく日常的に起こる空間というのが幻想の南国である。後宮という日本の宮廷文学に通じる題材を使っていても、光量と湿度が違うのでまったく別の雰囲気になる。イスラム美術の抽象的で官能的な美しさにも、南国の光と色の明るさにも、本来それ自体にはオリエンタリズムだのいった政治を持ち込まなくてもすむはずであるように、本作品も精神的なものは持ち込まずにひたすら楽園の明るさを描き続けるシリーズになってほしい。そうはならない伏線が張られているし、ネルリシリーズを見れば巻ごとに主軸を変えてくる(だけの技量を持つ石川センセである)ことは予想できるけど、そんなにスマートに書かなくてもいいんじゃないでしょうか。気難しい北方の文学じゃないんだから、このまま官能性を追い続けてもいいんじゃないでしょうか。ハーレムの花として咲いていられる時間は限られているのだし、先を急がずゆっくりと愛でていたい。あるいは、香燻たちだけの物語で終わらせずに、シェヘラザードのようにいつまでも語り続けてほしい。