絵。妄言ぐるぐる。

 先週はニコニコ動画で「デジ絵の文法」を見ていた。詩は韻律や語彙のニュアンスや文学史的な背景の研究によって作品そのものを膨らますことができるけど、絵画の場合はどうなのだろうか。言葉は二次的な記号体系で、絵は一時的な記号体系である(っていっていいんだっけ?もう忘れた・・・)という違いはあるけど、どちらもそれなりに過剰に意味を読み込むことができる記号的な有機体なので、解説や語りによって膨らみもすれば萎みもする。解説の仕方は作品の機能の仕方に応じて変化するものであり、トレチャコフ美術館のセミナーで昔聞いたようなアカデミックなものもいいが、宗教画を逆遠近法の観点から語るような、神秘的で記号論的なものもよい。萌えるエロゲー絵の場合は、何かそれに応じた第三の語り口があるのだろうか。今のところ、絵の論じ方がうまい人は見たことないと思う。ああ、そっか、エロゲーの場合はファンアートを描くことがそれに当たるのかな。だとしたら僕には絶望的だな・・・。まあそれはともかく、「デジ絵の文法」では、レイヤーやエアブラシなどの使い勝手のよさが強調されていたと思う。「萌える絵」の本質そのものは論じられないので、外堀から埋めていくわけで。あれほど何度となく吸い込まれるように見入ったエロゲーヒロインの目や表情も、いくつかの手順に従って普通に描かれているわけで、インスピレーションとかそういうのは見る側が勝手に虚空から電波を受信する。そういえば番組ではヒロインの姿勢や構図と萌えとの関係はあまり論じられていなかった(ていうかデジタルとあまり関係ない)。立ち絵についてとH絵の無理のある構図についてはもうだいぶ論じ尽くされたのだろうか。
 なぜ鍵ゲーの絵になにやらつき抜けた異次元な感じを受けるのか。初めてやったときは原色っぽいプリミティブな色調に戸惑ったのに、その後何が起きたのか。なぜ天いなの立ち絵(特に須磨寺さんとか)は飛びぬけて繊細な感じがするのか。なぜ瀬里奈の立ち絵はあれほどエロいのか、なぜさやか先輩(水夏)は、なぜ蛍(リアライズ)は、なぜ穂乃火(天紡ぐ祝詞)は、なぜ幼女あずさ(最果てのイマ)は、なぜソフィ(セイレムの魔女たち)は、なぜ伊知子さん(注射器2)は・・・。何を問いたいのか分からなくなってしまったが、とにかくエロゲーの絵は不思議だ。もちろんこの不思議な魅力は絵だけによるものではないけど、それでも何か絵について考えるだけでもいろいろ分かると思うんだよな。誰か美術史や美術批評専攻でエロゲーマーの人いませんか。