エロゲーの形而下化

 実家が一部屋空いたので、そこに滑り込めば居住費食費諸々で年間100万円くらいは節約できそうなことが判明した。通勤も少し楽になる。ただしその場合にはエロゲーのプレイ環境の悪化は避けられないわけで、高島ざくろの大胆なポスターや枕カバーや、可愛いクドリャフカのポスターやらは母親に申し訳なくて張れなくなるかもしれない。ネックはほとんどエロゲーがらみのことだけなので、「エロゲーヒロインとの幸せの独立性+エロゲーマーとしての自立」と「年間100万円の経済効果」の比較ということになる。これを観念論対唯物論と見るなら断然観念論が好きだし、エロゲーから得られるものが年間100万円分以下だと考えるのは寂しい気がする。あるいは自分の中で最近エロゲーへの情熱が失われて、年間100万円以下のような気がしてきていたとしても、ここで独立を選ぶことによってエロゲーの相場を買い支えれば、エロゲーから得られる幸せの価値も増やせるだろうか。それともそんなスペキュレーションに興醒めして逆効果だろうか。まあほんとにどうでもいい与太話だな。この前自分の居住環境の記号論的な自己肯定ポストを書いたばかりなのに。引越しについてはとりあえず保留。
 今木さんのツイートを見て「D〜その景色の向こう側〜」を積んでいたのを思い出した。クリスマスの頃に崩せるだろうか。