ざくろの夢

 素晴らしき日々の中で一番穏やかで明るいパートであるLooking-glass Insectの前半部(選択肢前まで)を久々にやってみた。はじめにやったときは読み流していたけど、章題にも入っている通り、確かに鏡のモチーフが多いことに改めて気づく。前章It's my own Inventionの導入部では、卓司が「目を覚ます」時に、幸福も不幸も全ての物語が遠くの出来事のように平坦に見えるということをいっている。これはどの時点の卓司が誰に向かって言っているのか分からないけど、少なくとこれから起こることを知っている卓司が回顧しつつ物語るための導入部のようになっている。遠く離れた地点から眺める卓司はもう物語に介入することはできない。Looking-glass Insectの導入部はざくろによる鏡の国のアリスの朗読とコメントになっている。入ることのできない鏡の国に惹かれているざくろはやはり何かから隔てられていて、章中前半ではそれは、教室のガラス越しに卓司を眺めることや投げやりな皆守に自分を重ね合わせることや、窮屈で小さな生活からの脱出を夢見ることに重ね合わされている。また、好青年の卓司に近づく過程で鏡の向こうの別の世界のように人格が変わる卓司に戸惑い、ボートの浮かぶ水面を空と水が重なった鏡に例え、別の世界が口を開けている不安定さを意識する(ちなみにケロQの描く青空はバロック絵画か何かのように燃えるように青くて異常な感じがする)。選択肢の後で実際にざくろは小さな日常を壊して別の世界へ足を踏み入れてしまうわけだけどそこは精神的負荷がきついのでやらないとして、はじめに読んだときに気になったことを改めて考えてみる。
 卓司とボートに乗った帰りにマスターのバーで卓司のピアノを聴くわけだけど、彼がざくろにぴったりの曲だといって弾いたのがサティの夢見る魚だった(序章では由岐の一番好きな曲ということだった)。サティのことも音楽も全くの素人なので見当はずれなのかもしれないけど、はじめに聴いたときに思ったのはこの曲がぜんぜんざくろにぴったりじゃないなということだった(それに由岐がこれが一番好きというのは変わった趣味だと思った)。それを聴くざくろの頭に浮かぶイメージは空や海の青の中を自由に進む何かの壮大で爽やかな曲というものだそうで、これも合ってないように思った。おまけにざくろは感動したという。これはどちらかというと主題歌の空気力学少女と少年の詩のイメージで(だとしても現代ポップスの曲は好青年卓司には合わないが)、この曲とは合わないだろうと思った。曲名は「夢見る魚」ということで、これはライターが曲名につられて持ってきたんじゃないかと失礼な解釈をしてとりあえず納得していた。あらためてこの章を読んでみると、はじめに抱いた自分の感想はまだ想像力の貧しいものだったように思えてきた。夢見る魚という曲は大空や海の青さの中を進む感覚は相変わらずあまりせず、どちらかというと水槽の中を泳ぐ魚かなにかの室内的なイメージだけど、その小さな空間の中の魚は閉じられた日常を生きるざくろであり、不規則で自由自在な音の連なりはその小さな日常の中でざくろが静かに育てている夢のようなものだと思えば、確かにこの曲はざくろに似合う曲だし、由岐のお気に入りの曲だとしてもいいのかもしれない。もしここで卓司がざくろにぴったりの曲だといってドビュッシー亜麻色の髪の乙女か何かを弾いたりしたら、それはあざとすぎてキモイということになっていただろう。不条理小説である鏡の国のアリスで夢を見ることができるのと同様に、このサティの曲の純粋な音の戯れに心を動かされるざくろというのはなるほどと思わされるところがある。というわけで、僕の音楽の素養がないこともあって、はじめは曲とテクストとの落差に戸惑ったけどどうやら腑に落ちそうだ。キャロルはロリコンでアリスシリーズには性的な欲望が反映されまくっているのでそれをざくろと重ね合わせるのは悪趣味だという見方ができるかどうかは知らないけど、不条理な言葉や不規則な音の戯れを愛でることのできる余裕が、ざくろにあったことに喜んでいいことには間違いはない。