висеть над пространством (虚空に浮かぶこと)

 18時間以上ぶっ続けで東方のゲームをやっていて、気がついたら元旦の昼下がりになっていた。単にアホな時間の使い方、という以上に我ながらちょっと怖くもあり、また妙に清々しくもあり。5年後とかに読み返してみると笑って済ませられないんだろうなあ。東方STGは、言語ではなく音楽と弾幕の文様を主体にして女の子キャラと会話し戯れるゲーム(参照:福嶋氏)ということで、言語による会話が脇役である分、音楽を繰り返し聞くように、あるいは順列都市に出てきた仮想ロッククライミング(だったっけ)のように、際限なしに没頭できる。イカにでもなったかのように(そういえば、この前中沢新一の『イカの哲学』という本を読んだ)、流れの中で揺らめき、発光による通信を繰り返す。通信メッセージは言語のように独立した分節の結合からなるのではなく、音符のように、自然物の模倣ではなく抽象化された記号として織り成されていく・・・(レヴィ=ストロース神話論理』の1巻を読み始めたんでさっそく曲解)。いいかげん、体がガタガタになるになるまでやったおかげで、妖々夢のルナティックまでクリアし、さらにはようやく念願の八雲紫に会えた。最後のほうはすっかりテンションがおかしくなって、「少女臭が、少女臭が」と頭の中で歌ったり呻いたりしていたはず。まったくありがたくないことだが、罪袋の境地が垣間見えた。


 あとは唐辺葉介氏の「犬憑きさん」を読んだ。相変わらず、けれんみはないけど落ち着いた筆致で心地よく読める。普通のラノベっぽくヒロインが友達と打ち解けて仲良くなったりするのだが、この作者のことだからいつ裏切られるのかと読んでいてちょっと不安になる、という意味ではスリルがある。思わずうまくいくようにと登場人物を応援気味になる。
 『神話論理』(ロシア語訳)はしょっぱなから話が壮大でわくわくするけど、このペースでは読むのに何年かかるか分からないのが残念。言語と絵画と音楽のそれぞれについて記号の質を違いを論じているのが、萌えソングはなぜ萌えるのかを理解する助けになりそうな気がした(感覚器官と理性の作用の仕方とか、意味の生じる順序とか)。いえろ〜ぜぶらの「ハッピー☆サンデー」のパチュリー(vo.藤宮ゆき)の無駄に可愛い声がなんだか印象的だったので。
 まったく新年ぽくない日記になった。少し掃除でもしよう。