攻略順があまりよくなかったようで(最後の「交差座標のスターダスト」の前がかがりエンドと真帆エンドになってしまった)、しりすぼみ感のある終わり方になってしまったのだが気を取り直していこう。
アニメ版を見てたのでだいたいの流れや雰囲気は覚えていたけど、やはり重たい雰囲気の話だった。前作が夏の話だったのに対して今回は冬からルートによっては夏にかけてだったけど、この重たい雰囲気のせいか、クリスマスや初詣のイベントがあったせいか、ヒロインたちの立ち絵の服装のせいか、冬の印象が強い。みんなたくさん服を着ていて、服の中に隠れていたりスーツのような服がパリッとした身体の線を作っていたりして、みんなが少しすましたような、遠くにいるような感じがして寂しさがある(特にまゆり)。前作で印象的だったテクスチャーの使い方や立ち絵の不思議な感じがマイルドになっていて少し残念だが、でも萌郁とか由季さんとかカエデさんとかあか抜けた美人の立ち絵は嬉しかった。
秋葉原も今回は少しよそよそしい感じがしたが、そもそも岡部にとってつらい場所ばかりになっていたのでしかたない。くよくよしすぎだとみえないこともないけど、精神的な疾患で気分が不安定になっている人間の危うさをよく表していたと思う(PTSDの人を近くで見たことがあるわけではないけど、あれが疾患だというのは他の病気の人を見た経験から感じられる)。ひょっとしたら2036年のさらに暗い世界や秘密組織の殺伐とした争いが出てくるから、その影がなんとなくこの作品全体にかかってしまっているように感じられるのかもしれない(いきなり「ウラジーミル・プーシン大統領」が出てきたのには笑ったが)。紅莉栖のオタバレとかなごめるシーンが少ないのも寂しい。今回の作品のビジュアル的な薄暗さは記憶を振り返る時のどこか温かい薄暗さなのか、ほこりっぽい廃墟のような薄暗さなのか、混ざり合って判然としないようなところがある。
前作の感想でも書いた通り、物語がテンポよく広がっていくのに引き込まれていく楽しさがあったのは、タイムマシンの開発をめぐる前半部分であり、確立したその技術を使って物語をたたんでいく後半は重苦しい過程だった。今回の続編でははじめから技術的な部分は確立していたので、それを使って陰鬱なスパイアクションめいた話を進めていくというやはり重苦しい話になってしまった。
だからかがりルート(相互再帰のマザーグース)は印象的だった。箸休めのような短めの寄り道ルートだけど、優しい空気と、過不足なく温かく閉じていく物語がとても心地よい。最後の絵もちょっと表情が硬くて怖く見えなくもないけど、時間の中にずっと浸っているような表情でもあり、前作の画風にも近くてよい。かがりとまゆりの温かい絆が物語の核にある。二人の声と歌声に温かさを乗せて語らせている。エロゲーらしくない真面目なよさがある。かがりの立ち絵は、少しバランスが悪くて硬直した感じがあるのだが、彼女の子供らしい無防備さ、ナイーブさを表しているようにも思える。
真帆のルートはちょっと期待していた恋愛展開にはならなかったのが残念といえば残念だったけど、納得のいく終わり方ではあった。でも、どのルートの終わり方にもいえることだけど、これから始まるということろで終わってしまう。エロゲーなら恋愛が成就したりすればきれいに終われるのだけど、この作品は最後まで描くと前作の最後と似たような感じになってしまうから途中で終わらせたのだろうか。「世界線」という言葉はシュタゲで知ったのだが、線であること、つまり始まりから終わりに向かって一直線に進んでいってそのまま終わってしまうということは、必ずしもプレイヤーが望んでいることではない。終わらない線、ループとかあるいはもっと複雑な終わらない構造体を幸せなものとして作り上げるのが快楽装置としての物語の最終目標なのかもしれないが、前作の鈴羽ルートで袋小路としてネガティブに描かれてしまっていた。あるいは、必ずしもネガティブとはいえない宙づりの形で示しているのがギャングスタ・リパブリカとかかもしれないが、あれが無条件に幸せで楽しいかというと保留がつく。結局、僕たちは短くて有限な線を何度も何度も、狂ったように何度も終わらせては新たに始めて、いくつもつなげていって、いつか一つの線として振り返って認識するしかないのか。そう考えた時の疲労感のようなものを、これから頑張って人生を生きていかなければならない真帆の最後のシーンに重ねてみてしまう。そんなに背負ってばかりいたら、いつまでも背が伸びないよ。そしてそういう重みを引き受ける元気を与えてくれるのが、紅莉栖という存在なのだろう。でもこの寂しい終わりの先は想像するべきではないのだっけ。最終ルートの展開では、アマデウスは消去されていなかったような気がするし、そもそも紅莉栖も助かる世界線にたどりついて、真帆は彼女と一緒に幸せにアマデウスの研究していることになっているのか。
しかし、世界線を移動すると、元の世界線は「なかったことになる」というのは改めていうまでもないけど暴力的だな。その分通ってきた道を背負わなければならないという倫理の問題が出てきて、物語としては重くなっていく(マルチエンドのエロゲーはその点は無責任で慎ましいのかもしれない)。この作品では、誰かが、あるいは何かが欠けているエンディングしか描かれていない。作品自体にもハッピーエンドが欠けており、あるいはまだ描かれていない。みんな、まだどこかに向かって線の上を歩いている途中だ。そして僕の思考もその欠けている何かに方向づけられてしまい、余韻を持続させたくなる。物語を終わらせたくなければこの欠損の感覚を意識し続けるのがいいのだろうけど、どうだろう。とりあえずサントラでも聴くか。あと、とりあえずスクショした画像でも置いておこう:①、②、③、④、⑤、⑥
P.S. サントラはリミックス曲集だったのでいまいちだった(リミックスが気に入ったことはこれまでにない)。テクノっぽい音にアマデウスのSF感をなんとなく想像できないこともないが。
P.P.S 最後に今回シュタインズ・ゲート2作を手に取ったそもそものきっかけも書き残しておこう。くだらなすぎてどうしようもないが、急にレスキネン教授の「リンターロ!」を聞いておきたくなってしまったことだった。2022年のリンターロ!世界線はまだ無限に広がっている!