運命が君の親を選ぶ、君の友人は君が選ぶ (60)

 陰陽のような世界を読むための象徴体系を説く教書のような作品で、ドラマトゥルギーよりも教書としての完結性を優先させたかのような終わり方は、そういうものとしてみれば面白かったということも出来るかもしれない。終章「五蘊」では、誰とも添い遂げることを決めなかった主人公に対し、「永遠の女性」たる裏側の世界の半身が現れる。「永遠の女性」は古来の女性信仰より発し、ゲーテ以降のオカルト的ロマン主義、ロシアではソロヴィヨフ以降の象徴主義で猛威を振るった象徴体系の要。幸運な形で出逢えるのならば、この想像的な原理を対象化して、自分を世界の中に定位することも出来るのだろう。その後に世界を象徴で構築していくときに、どのような技術をつかうのか、それが個別のヒロインたちがそれぞれ提示している体系のことなのだろう。それらがスタート地点である終章をよりも前におかれているのは、単純に考えれば、作品が単線的な物語になることを避けるためなのだろう。最後に後姿だけ描かれていたヒロインは、すでに「永遠の女性」を対象化した主人公が選んだヒロインであり、個別ルートの誰かでありながらも集合的な運命の女性ということなのだろう。
 というわけで、主人公がすでに存在しない幻想たるa-You、すなわち「永遠の女性」に振り回されるのが本筋になっている物語である以上、それに呼応するヒロインの物語も暗くなりそうなものだが、実際に暗いのは未来シナリオだけ。舞台設定の解説程度でヒロインの物語と呼べるほどのものになっていない枢シナリオは論外として、えこシナリオは占いとはあまり関係のない民俗学風萌えゲーシナリオで、普通にえこが可愛くて起承転結のある物語が面白かった。問題は梨鈴で、キャラクターの強烈さが平坦なシナリオを完全に食ってしまっていた。ネジが何本が飛んでしまった能天気な「右脳系」ヒロインで、主人公に「うーくんも女の子だったらよかったのにー」と言うほどに充足した世界を生きている。すっきりしないことがあると、「あーあ、大きな声出したくなっちゃうな」と独り言を言って大きな声を出してみる。なぜか爺さんの声真似に熱が入る。授業中は基本的に窓の外の蝶をぼんやり眺めており、あまりの充足感に、梨鈴の見る美しい世界はその蝶の見る胡蝶の夢なのではという不安さえ感じられてくる。台詞回しもさることながら、声優の杏子御津さんがはまりすぎていたというのが大きい。こんなに短い話で終わらせるのは惜しい、天才的な役作りだった。作品の趣旨からは外れるのだろうが、梨鈴の見る世界をひたすら追い続ける長大なルートとかほしかった。