時間は必ずしも線状のものではなく、分断された断片から断片へと飛躍したり、他の断片がオーバーラップしてきたり、どこかが引き伸ばされて高密度になっていたり、どこかが抜け落ちて希薄になっていたりする。そのことを実感するのは「思い出す」という行為を通じてであり、同時にその行為によって時間が線状であるべきであることも再認識させられる。
双六はそのような時間の機構を露出させるシステムであり、価値としての時間はそれを認識し、統合する主体の問題に還元され、線状ではないので時間の断片を双六のシステムのせいにして好きなように並べ替えられる。本作は複雑なサイコロの盤面がある凝ったゲームのように見えるが、実際にはサイコロを振って運任せにストーリーが進むわけではないので(設定の調整を除けば)けっこうシンプルであり、それを複雑な物語のように見せているのはうまく感じた。時間の流れはどこかに終点を仮構するからこそ感じられる。本作では登場人物が死に飲み込まれようとしている人ばかりであり、賽の河原や反魂法の説話、サイコロという突然死を意識させる決まりもあり、「もののあはれ」の空気が常にどこかに漂っていたような気がする。秋は華やかな彩りが忍び寄る死の陰影を帯びる季節であり、京都という歴史の町は死者の空間であることを意識させる。
ただし、みさきルートは双六/時間物要素が薄まって、Fateのような古典的な団結&異能バトル展開になってしまったのでやや興ざめだった(最終ルートはさらに大味でひどかった)。その中でも面白かったのは、大誠と縁の対峙のシーンで、ぽっちゃりしたサブキャラの大誠が縁の凶器でミンチにされながらも一瞬で復活するシーンが立ち絵と文章だけで何回も繰り返されながらも、大誠がまさかの本気の説教で縁を救ってしまうというシュールなマゾ展開がよかった(縁の渾身の「寄るなァッ」に切実感があった)。それはともかく、みさきは声がきれいなので話すのを聞いているのは心地よい。
反対に一番よかったのは、琥珀との橋の上でのシーンだった。琥珀は少し目をそらすことが多いのだが(猫はまっすぐ見られると恐怖を覚える生き物だ)、ここではまっすぐこちらを見て、少しずつ静かに言葉を吐き出す。背景の夕暮れの橋と川と紅葉は、ひんやりと鮮やかに色づいているけれど、死の気配もにじませている。琥珀と何を話したのか覚えていないけど、言葉が揮発しても空気感や琥珀の吐息と声のトーンだけが記憶に残っている。一言ずつ噛み締めながらゆっくり話し、本人が意図しなくても寂しそうなトーンになってしまうのがよい。あえてたとえるなら、オーラがあったときの綾波レイのようだ。その声でエッチシーンというのは楽しいし癒される。とかく裏を読みがちなこの作品のキャラクターの中で、シンプルで大切なことしか話さないのが心地よかった。確認したら、声優の白雪碧さんという方はらぶおぶのイサミさんの人だった。琥珀シナリオは(クレアシナリオも同様だけど)、終わりの気配を漂わせながら双六をあがるのが印象的だったのかもしれない。
ついでに、本作は涼しげな寂しさと幽玄の気配を湛えた音楽が結構よかった。フレーズが短くてすぐ繰り返しになってしまうので曲数が少ない印象になるのが残念だったが、のん気な日常ともバトル的なやかましさとも違う、秋の空気を感じさせる曲が多かった。双六によってシーンが断片化されていても、すんなりと空気感を作り出していた。こういうのは生演奏でも電子音楽でも変わらないし、むしろ電子音楽のほうが神秘的かもしれない。
悪かったのはエッチ関連。ストーリーから切り離されていたので高まった末ではなく、平和になった日常で他にやることがないから告白してエッチという流れになったのはいただけない。本編での繊細なやりとりはなんだったのか。かといって本編では落ち着いてエッチもしてられなかっただろう。本編後に回すにしても、もう少し工夫するわけには行かなかったのか。
ただし、そもそもエッチシーンというのは初回は別にしてもある程度物語から切り離されたコンディションで迎えざるを得ないことが多いので(一気にプレイする時間が取れなかったり、間隔が短かったりして日を改めなければならないことが多い)、ある意味で双六のコマのように前後から独立してしまっていて僕も感情の流れやキャラを忘れかけていることがある。だからエッチパートになってヒロインたちが急にエッチになってしまっても非難できないし、お互いに忘れてしまっているのでさっさとエッチに突入するというのは、現実的でそれなりに味わい深いことなのかもしれない。物語の興奮や感動は遠く置き去ってしまった。目の前のヒロインの自己同一性を保障するのは、その遠く離れ去ったものの影や名残を絵と声と音楽が伝えるからだ。エロゲーはそもそもそういうフラットなものであり、現前するヒロインのまなざしの中に「奥行き」を勝手に読み込むためのものであるはずだ。だからこのエッチシーンの構成は一つの形になっているのかもしれない。…「俺はただ黙々と、この可愛い尻を掴みながら陰茎をひたすらに抽送している。」
不思議な場面があった。そういえば物語中でも、物部を引き摺り下ろした後のプレイヤーはどうなっているのか、僕たちは主人公たちに憎まれるべき存在なのではないのかということには触れずに流してしまっていたなあ(触れるとHAIN作品になるというのは一つの答えだろうけど)。
「(私、きみ)は運がいい」というのはロシア語では「(私、きみ)に運んでいる(везет)」、過去形の「運がよかった」は「(私、きみ)に運んだ(повезло)」という。誰が何を運んだのかは明言されない。日本語でも「運」であり、本人が感知できない(あるいは言語化することが禁忌である)何かが何かを運んだ結果、幸せな結果が生じたということだ。たとえそれがいかに作為的であっても、人生にはそういう瞬間があるのだろう。それが大切な人を見つけるきっかけになれば幸せなことだ。