祝福のカンパネラ (50)

 今までやったエロゲーの中で一番テキストを読まなかった作品。未読でもCtrlを押しっぱなしでがんがん飛ばし、疲れたらオートモードにして寝転がり、ヒロインたちの声を子守唄代わりに夢うつつ。おかげでストーリーでよくわらかないところがけっこうある。そういう失礼なプレイヤーの感想というかキモい妄想なんであしからず。
 スキップしまくったのはパソコンのスペックが低くて動作が重く、スキップしてても大体読めたからで、オートモードにしたままろくにテキストを読まなかったのは、動作が重いのに文章が遅くて薄っぺらくてクリックしていくのが苦痛だったから。そんなわけで、プレイ中の満足度の低さは今まででもかなり突出している。まともに読めたのは余計なミニゲームのないサブヒロインたちのシナリオくらいだった。
 企画責任者が原画家の人だからだろうか、テキストが添え物的な位置まで後退しているように思った。自分がシナリオゲーに慣れ親しんだプレイヤーだからか、ドミナントがテキストではなくて絵、特にエッチシーンの絵にあり、とはいっても抜きゲーとは違って淫靡でウェットなまぐわいではなく、恋愛の一体感の幻想にアクセントが置かれたゲームのプレイ体験は、けっこう新鮮と言えば新鮮。普段の立ち絵からしてヒロインたちはかわいい衣装を着飾っていて、食べてくださいと言わんばかりでありながらも、どこまでも純真でかわいく、痴女的なだらしなさは感じさせない。いわゆる草食系の主人公を取り囲む、色調明るい夢の国。そう、ここは実現されたグレタガルドだ。主人公はここでは無条件にヒーロー。優しさを見せさえすればみんなたやすく幸せになれる。話すことが野暮でつまらなくたっていい、周りのみんなの会話も野暮でつまらないのだから。優しささえ担保されていれば、笑顔さえあれば、いくら野暮なことを言ってもみんな幸せだ。そんなふうに幸せを約束された世界が、一番剥き出しにせり出してくるのがエッチシーンだ。極まっている。今まで散々思いやりあって「気持ち」を通わせあっていたヒロインと、ついに身体を合わせ、そのかわいいヒロインを自分のものにする。もとよりエッチシーンにシナリオには別に機知などなくてもよく、ただただ夢のような多幸感を、言葉ではなく肌の色が、身体の線が、ヒロインの表情が与え、声が掻き立てる。いくら物語がつまらなかろうが、このヒロインとの幸せな一体感に感染したあとには、すべてが必要なものだった気がしてくるから不思議だ。エロゲーでもっとも大切なものの一つが、ヒロインが幸せになって自分もいっしょに幸せになることだとしたら、この作品はそれ以外の部分を不遜にも切り捨てている代わりに、エッチシーンにすべての中心を持ってきていると言う点では見事な構成をしているのかもしれない。これが泣きゲーだったりすると、引力の源泉はどこかよくわらかないシナリオの外や余白だったりする。感動を得るためにはあらかじめ何かを欠落していなければならない、と言うのも食傷気味といえないこともない。何も失うことなく、かわいいヒロインと曇りのない幸せを手に入れられるのならそれはすごいことなのだろう。未来にキスをが勿体つけてためらっていた一線を無自覚に踏み越えた、という点でもなにやらすごいのかもしれない。読んでいてつまらなかったので高評価は出来ないけど、読後には満足感があるという微妙なゲームだった。あー、カリーナさんからニナさんまで、みんな好きすぎてたまらんです。エルタリアに逃げたいなあ…。