薬屋のひとりごと

 田中ロミオのシミルボンで紹介されていたのがきっかけで、「薬屋のひとりごと」お盆の前から読み続けてようやく最新話まで来た。長編のなろう小説を読むのは「幻想再帰のアリュージョニスト」(途中で読み止し、いつか再開したい)以来だ。
 「後宮楽園球場」もそうだったけど、後宮小説というジャンルの心地よさが素晴らしい。ファンタジー小説みたいなものかな。「Dragon Buster」のような中華ファンタジーの心地よさもあるのかもしれない。とうの昔に陳腐化してしまった西洋風ハイファンタジーとは違って、新鮮な感じがする。合戦とかRPG的な王国政治とかの代わりに、後宮若い女官たちの日常生活という小さな世界を細密画的に描き込んでいくのがよい。ロミオ氏も書いている通り、女官たちの日常というそれだけで華があるので、強いて大恋愛を劇的に描きたてる必要もなく、オタク的ファンサービスを過剰に入れる必要もなく、薬学をはじめとする中世の博物学的なネタのミステリーと女官たちの悲喜こもごもを描いていくだけで心地よい絵になる。といっても、楼蘭妃編の劇的で目まぐるしい展開と妃の運命が一番印象的だったかもしれない。子翠と猫猫がわずかな時間しか一緒に過ごせなかったのがさみしい。もっと温かいエピソードも堪能したかった。
 最初の後宮編が終わると砕けたネットスラングや現代ネタも交じり込むようになり、キャラクター描写にもラノベ的テンプレが入ってきたりしてちょっと残念に感じる部分もある。コミカライズもされているそうで、キャラクターデザインをちょっと見た感じはそんなにおかしくはないようだが、やっぱりこの小説はイラストなしか、あるいはキャラクターイラストなしで読んだほうが想像が膨らんで楽しめるような気がする。マンガ的キャラデザをみるとそれにイメージが引っ張られてしまう。例えば壬氏は作中であれだけ常人離れした美貌だとされていながら、マンガだと普通の美形キャラになってしまうだろう。猫猫の冷めた表情にしてもマンガやイラストではあまり見たくない気がする。といっても、雀くらいキャラクターとしてデフォルメされてしまうと(ほとんど化物語シリーズを読んでいる感覚)、もはや正しくライトノベル的にキャラクターを楽しむ読み方をするしかなくなってしまう(雀は好きなキャラの一人だ)。なんだかんだいって女官たちが華でいられる時間はそう長くはなく、だらだらといつまでも書き続けてほしいシリーズである一方で常に時間の流れの無常さの影を感じられるのが素晴らしい。これこそがファンタジー時空の醍醐味だ。
 こういう小説をたくさん読んでいれば僕も少しは王朝女流文学とか好きになれていただろうか。