中村九郎『樹海人魚』

樹海人魚 (ガガガ文庫)

樹海人魚 (ガガガ文庫)

 主人公の名前が「森実ミツオ・通称ザネ」という時点で何だか嬉しくなってしまい、時に楽しく時に美しく脱臼した文章が文章が続く前半はかなり楽しんだ。霙の「であります」にもいちいちツボを突かれた。視覚的な描写がいちいち新鮮で、誰かが書いていたように、イラストが割りと普通なので、イラストにあまり縛られずに文章のイメージを大切にする必要がある。視覚的なアイデアも新鮮・・・重力と昼夜の逆転した、眩暈のするような世界に住む女の子、赤い糸と指揮棒、木枯らしの冬と人魚・・・。昔、中学の合唱祭で指揮者をやらされたことがあるけど、今思うと考えなしの子供だった。ピアノ伴奏が好きな女の子で、始めるときにいつも目と目を合わせるのが緊張したというくらいの感慨しかなく、後はどうやったら滑らかに手を動かして指揮者っぽくしていられるかくらいしか気にしてなかった。もちろん入賞なんてしなかったし、赤い糸もなかった。世の中いつもタイミングずれているんだ。だからこんな小説を読む。っていうほどのトラウマというわけでもないが。中村九郎は僕の知る数少ない、ストレスを与えない文章を書く作家だと思う。ジャンクな文章というものは表面的には無害でも、どこかでストレスを与える。たとえ単なるジャンク以外の個性があるとしても、麻枝准の音楽と溶け合うために漂白された文章にも、田中ロミオの正確に演じ伝えるために神経質に力んだ文章にも、どこか緊張を強いるような強迫的で病的な気配があり、どこか疲れてしまうことがある。中村九郎は言葉自身と戯れているので、読み手はそれを追うだけで楽しめる。そのストレートな気ままさが楽なのだ。
 バトルと謎解きに比重が移る中盤以降は、割と余裕のない文章が続く感じになってしまっていたような気がする。始めは中村氏のナンバーワンかという勢いだったけど、後半は謎解いたりして普通な感じに。それでも時折思い出したように楽しい箇所があり、思わず書き抜いておきたくなる:

「そっか、郷土資料館を忘れてた……」
「ではなくて、ミツオ。あの上から探せば何か見つかるかもしれない、であります」
「上……はは、超短絡的だね」
「眠くて言動が不用意になっているであります、グズ、あいや、ミツオ殿」
「ま、間違いすぎでしょ、霙」
「もうしグズない、でありグズ」