エクリチュールの英雄時代 〜定金伸治『四方世界の王5』〜

四方世界の王5 荒ぶる20(エーシュラ)の太陽と変異 (講談社BOX)

四方世界の王5 荒ぶる20(エーシュラ)の太陽と変異 (講談社BOX)

 西尾維新の『猫物語(黒)』(asin:406283748X)を買いに行ったら四方世界シリーズの新刊が出ているのを発見。合わせて買ってきた。それにしてもある意味対極的な2冊だった(なんか対談してるけど)。猫物語はアニメ版とかつばさキャットの内容を変奏しているようなもので、話芸のみで成り立ち、言葉を言うべきか言うまいか、言外に秘され黙されたものは何なのかといった現代の病系のもの。エクリチュールの黄昏だ。登場人物も読者目線。
 他方、四方世界の王はエクリチュールの曙、というのが言い過ぎなら、その英雄時代。史実とどれだけ合っているのかは知らないが、舞台は紀元前1800年メソポタミア、ハンムラビ王出現前夜。数学や文字の書記が秘術に属し、魔術的な力が付与されていた。それより300年前に最初の明文法が出来て以来、一部ではそれを運用する人間の国家があったものの、周りはまだ神と英雄の時代。転換期、各国を統一し、英雄の手の届かない部分は法による統治への移行が時代の流れとなる。このあたりは『姫神』でも扱っていたかも。英雄の代わりに文字が統治するというのは、凡人の時代の始まり。高貴な血筋の濃縮を繰り返す近親相姦は時代遅れとなり、コミカルな近親ネタは必然的な悲劇に取って代わられる。共感を基盤とする文字と基盤としない数学はまた対立するものでもあり、無制限の共感を堕落とする英雄たちの厳しさをあぶりだす。いちいち一言一言が秤にかけられる、死と隣り合わせのシェヘラザードは確かにこの時代にもいたのだろう。言葉や数字はまた変幻自在のお化け、オーボロトニャでもあり、その身振りに忠実であろうとすれば、ある一点からは人間の慣習法を越えてしまう。動物的であるがゆえに発話がいつも創造行為であるような女痴愚エリシュティシュタルと、気がついたら量子的に体を重ね合わせ、本能的な欲求を共有しているという安らぎ。あとは絵の感想か。文章がいちいち古代を意識させるような重くてどもりがちなものなので、マンガ的なイラストが近すぎて、ちょっとした眩暈のような感覚が起こる。でもマンガとしてはあまり見かけないような絵柄なのでよい。エリシュティシュタルが可愛いのは絵のおかげというのもあると思う。変態イバルピエルはいいからこの子をもっと書いてほしいです。そして次巻は彼女の話っぽいが(四方世界の王6 すべての四半分は女の15(ハミシュシェレト))、逆に死亡フラグが立ったようで怖い。楽しみにはさせてもらうけど。