マイクル・コーニイ『ハローサマー、グッドバイ』『パラークシの記憶』

 ブックオフで何かの小説を探していて偶然手に取って買った。訳者解説が熱が入っていたからかもしれないし(SFの解説はそういうのが多い)、表紙のイラストがよかったからかもしれない。特に『ハローサマー、グッドバイ』の方はヒロインのブラウンアイズが可愛いし、青い色もきれいだ。 

ハローサマー、グッドバイ (河出文庫)

ハローサマー、グッドバイ (河出文庫)


 ハローサマーの方はサリンジャーの小説に出来るようなアウトサイダーな感じの少年の初恋を描いた恋愛SFで、少年の苛立ちとかときめきとか、田舎の港町の夏休みの雰囲気がよかった。少年はある種のエリート市民だし、ヒロインは庶民(居酒屋の看板娘)だし、現代のオタクとしてはリボンが救われなかったこと、ハーレムを維持できなかったことは看過できないし、そうはいってもなんだかテンプレ的なツンデレ表現が古いイギリス作家の小説から出てきてしまったことにやや困惑したし(訳者の文体が軽いことにも原因はある。確かイーガンも訳している有名な人だと思うが、訳文は文字の美しさやリズム感もいまいちだった)、できすぎたようなボーイ・ミーツ・ガールがちょっと軽いと言えないことはないけど、ハッピーエンドの瞬間をぎりぎりまで引き延ばしたのはよかったと思う。きっと作者はその後の話を書き継ぐこともできたのだろうけど、小説としての完成度のためにはあそこで終わっておくのがよかった。 

パラークシの記憶 (河出文庫)

パラークシの記憶 (河出文庫)


 次のパラークシの方は、1990年代に書かれた続編だそうだ。舞台設定は見た目こそ19世紀の地方をモデルにしたという前作から中世くらいに後退してファンタジーに近づいたけど、実際にはインターネット時代の情報処理と倫理を感じさせるものになていて、語り手もサリンジャー的少年からより後の時代の無個性で安定感のある少年探偵みたいになっていた気がする。前作のリボンと比較するなら、ファウンにもっと三角関係的な意味で頑張ってほしかったが、なんか妙に積極的に性描写があったりするという意味でも結構世俗的な作家だなと思った。
 SF設定の一つに過ぎないので単なる仮定の話しかできないが、先祖の記憶を完全に引き継ぎ、再生するように生きなおすことができるというのが面白かった。確かに社会の進歩を止めたり、近親相姦と表裏一体の性欲の喪失(動物レベルまでの後退)が起きてしまったりするけど、嘘をつく意味が消滅し、子孫に見られているという感覚から倫理観が強化され、なによりも人生の素晴らしい瞬間を最高の再現度で何度も反芻できるという嬉しい能力だ。本を読むこと、エロゲーを楽しむことにも通じる、瞬間と継続、反復と固有性の問題系だ。恋人との最高の瞬間、恋人の最高に魅力的な表情を、記憶の中で完全に呼び出せる喜びを地球人である読者に語りかける主人公が素直にうらやましい。
 前作で我慢していたご都合主義的なストーリーテリングは、今回は結構節操ないハッピーエンドになってしまったが、こんなふうな現代的な感性の作品なので仕方ないと納得することもできる。しかし、こういう箱庭的な創世神話を上演する作者はそれに満足するのだろうか、上演を魅せられた読者は満足すればいいのだろうか、という問題は残る。『アバタールチューナー』ではそこらへんは劇的なアクション展開と感情の振れ幅の大きさで押し切っていたような気がする(あまり覚えていないが)。コーニイ作品では恋愛物語としての情感と上記の記憶の魔法の魅力だろうか。