円城塔『Self‐Reference ENGINE』

Self‐Reference ENGINE (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

Self‐Reference ENGINE (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)

 アメリカの小説っぽい感じの軽くて乾いたユーモアの文体で書かれているのに、というかそれだからこそなのか、こういう不条理系の小説は血の巡りを悪くするようなところがある。ゾーシチェンコ、カフカ、ハルムス、『鰐』のドストエフスキーといったあたりが、饒舌や死の不安や本当に不条理な生活の実写で覆い隠していたものが、ボルヘスや『虚数』のレムみたいな不活発な文学では染み出してくる。乾いた男の不毛なパズルに付き合わされてちょっと損した気分になる。そこから少し純文学的な自意識の方向に振れると、共犯の意識を感じてさざなみが立つような立たないような:

プレイヤーはある時、自分が行っているゲームは、初期に自分の行った選択が得点のほとんどの部分を占めるゲームなのだと気づかされる。同時に、過去の自分の選択が最早取り返しようのない悪手であったのだと判明するところがこのゲームの底意地の悪いところなのだ。それに気づいたときにはもうどうしようもない。そしてこのゲームからは降りることが出来ないのだ。どこまでも広がっていくはずだった空間が、全時空的に凍結していることに気づかされる、それは瞬間でもある。("Disappear")

 大半は、もう自意識とか感じないくたびれた諦念をどこかに隠したような、ユーモアと論理的な奇想の織物で、つまり潤いが足りない。その意味で、点対称(?)な構成の本書の中心部に位置する2編は("Daemon"と"Contact")、1編が巨大知性体ユグドラシルを擬人化した美少女の不安のようなものを描いているところが、僕のような偏った読者にはありがたい。もう1編は無個性な中年男が主人公なのできちんと萎えるが。これは作品が面白いかとは別の話で、読み手が面白がるかという、いわば趣味の問題、という風に簡単に割り切ってしまうのもまた違うかな…。乾きくたびれたおっさんパート(大部分)にも、生成され解体され続ける構造物の自律した美しさみたいなものを、そんな気分のときには感じられるわけで、気分によって評価が変えられるなんていう無責任な感想もいいでしょ。過去改変とかいってるし。
 というわけで、とりあえず有名なほうから読んでみたけど、恋愛をテーマに据えているらしいもう一冊のほうに期待。