Rewrite (70)

 エロゲーマーは地球の心配をしなくてはいけないのか?確かに、地球が滅びるからその危機を救えみたいな話はマンガとかによくありそうだし、実際にエロゲーでもHello, worldとかそんな感じだったし、最果てのイマだってそういう舞台仕立ての話だったと説明することが出来ないわけじゃない。ただし通常こういうのはあくまで舞台仕立てに過ぎないもので、本当に書きたいのは別のもの、エロゲーであればヒロインとの恋愛やそれに伴う深く親密な関係のほうだろう。だから「地球の危機」は単純で分かりやすい悪でも別に文句はないし、むしろあまり主張してこないほうがいいのかもしれない。
 田中ロミオは家族計画にしてもクロスチャンネルにしても最果てのイマにしてもやや特殊で、ヒロインとの一対一の関係という主軸に匹敵するほどの重みをつけて、主人公と社会(あるいは単に周囲)との関係という主題を描く。図式化してみると、家族計画からRewriteにいたるまで、当初は問題のある主人公が健全な社会に溶け込めない話だったのが、主人公が自分の周囲に自分でも許される社会を作る話へと、そしてさらに社会のほうが実は問題を抱えており病んだ終末観を漂わせているという方向へ進んできたといえるのかもしれない。いずれにせよ、主人公と社会をめぐる問題系は自意識や人間関係の難しさなど、ソフトな性格のものだ。最果てのイマでは衛生思想やネットワーク社会のセキュリティのようなサイバーパンクなモチーフも大量に動員されてハードな社会設計の話のように見える部分もあったが、そうしたものも他人との距離感の話に回収されるものだった。
 僕がネタにマジレスをしているだけなのかもしれないが、Rewriteはこの文脈では恋愛ゲームとしての一線を越えてしまったように見える。原案云々はひとまず措くとして、ホットな社会問題に敏感な田中ロミオが環境問題というテーマに反応したのは理解できるが、これは自意識とか他人との距離感とかいうような恋愛ゲームと親和性の高い社会問題からはかなり離れたテーマだ。エロゲーマーならずとも、静かな日常を送っている一般人にとっては「地球の心配をしろ」といわれても違和感を覚える人は少なくないと思う。もちろん、エコバッグは普及しているし、政府は国民の税金の中から電気自動車やエコ家電への補助金を出しているだろう。環境に気を使うために少し手間をかけたり少し余計にお金を出したりしたら、少し気持ちいいだろう。しかし僕のようなダメな人間の中には、こういうのに偽善や商売の匂いばかりを嗅ぎつけて、環境保護のような曖昧な活動でいいことしたような気になるのを嫌がる人もいるだろう。むしろこれをドライに商売の話と割り切って、人があまり住んでいないシベリアでは発電所で低品質な褐炭を燃やしまくって大気を汚染していたとしてもそれは仕方のないことだし、資源が枯渇するといっても別に自分が生きている間は関係のない話だし、採掘会社が資金がないから地質調査を十分していないだけでまだ未開発の資源はあるかもしれないしなどと自分に言い聞かせて倫理的な問題から切り離したほうがいいと思う。環境保護のテーマはそれほどまでにハード面に関わるモチーフであり、僕らの営みの多方面に影響する未解決の問題系であり、クリーンとかグリーンとかの爽やかなイメージとは違い、主に政治とお金の話だからだ。
 こうしたテーマをフィクションが消化するための処理として適切なのは、朱音シナリオのパターンだ。つまり、環境保護サブカルチックに宗教的なカルトのテーマに引っ張って心理化する方法。というわけで朱音ルートは暗くて心理的で恋愛的で面白かった。
 他のルートでは、環境保護のテーマは取扱が難しいのに、特に何の処理のされないまま剥き出しの素材としてバトル話や地球救済話のようなフィクションの道具として使われていたため、この作品が本気で環境保護を訴える気があるのか、それともただの感動話のネタとして活用しているだけ(それはそれで不躾だ)なのか分からず不審な感じがした。間違いなく凝った面白い話なのに本作に違和感を感じてしまうのはその辺りが原因だと思う。あと50年くらいしないと成熟しないような新しすぎるテーマなのだ。
 どういう事情があったのかは知らないけど、本作の発売は震災で遅れたという。同じく震災の影響(こちらは偶然ではない)を感じさせるフィクション作品に、西尾維新の『悲鳴伝』がある。地球の人口が増えすぎてしまったために、地球が「悲鳴」を上げて人類の3分の1とかを抹殺してしまう世界の秘密結社とかの物語で、地球の化身として幼女が主人公の前に姿を現したりするところもRewriteに通じるものがある。環境問題という人災ではないく天災が元ネタになっているためか、西尾維新はこの小説では環境保護団体のような難しいテーマには手を出さず、いつもの自我をめぐる文学的な話に仕上げている。
 Rewriteでは上記のようなよく分からないスタンスのために、肝心の篝との関係を恋愛話として読むことが難しく、最後までどこか落ち着かなかった。おとぎ話としてのMoonやMoonと他のシナリオとのつながり方は面白かったけど…。あとは最果てのイマの変奏のような小鳥シナリオ。退廃感と諦念と、希望と意志と。あの中毒的な文体をどう表したらいいものか。
 とはいえ話を戻して見方を変えると、フィクション作品というのはテーマの選択をもって全てが決してしまうような簡単なものではない。なんだかんだいって、物語やヒロインたちに引きづられて親しみを持つ。テーマが新しすぎるのなら、物語のプリズムを通して詩化してしまえばいい。夏の日差しや冬の空気だってAirKanonをやった後ではそれまでと違った親しみを持つようになったわけで、同じように環境保護という今はまだあまりにも抽象的な事象だって少しは身近なものになったのかもしれない、といったら社会主義リアリズム小説の効能みたいな話になるか。なんだかんだ言ってかなり楽しんだのに微妙な感想になってしまった。BGMでも聞いて落ち着くことにしよう。


(ESでコメントを頂いたのでそっちのリンクも貼り)